学校行事Hana・花 networkFrom 家政科精研新聞ミネルヴァの梟|同窓会新聞

おすすめ図書

平成16年度|平成15年度

 

平成15年度

2月

蹴りたい背中 綿矢りさ/河出書房新社

脆いつぎはぎ部分が壊れてしまわないように、そっと、写真をランニングパンツの尻ポケットに入れた。
にな川は初めと変わらない体勢で一心にラジオを聴いている。英語のリスニングテストを受けているかのような集中力で、私が近寄っても気づかない。彼はなぜかイヤホンを片っぽの耳にしか突っ込んでいなかった。もう片方のイヤホンは肩に垂れ下がっている。
いつの間にか私は立ち上がっていて、彼を見下ろしていた。彼の後ろ頸を肌触りだけはよさそうな白いシャツの襟が囲んでいる。洗濯しているんだろうけれど、着古して、襟ぐりの内側が垢で汚れて茶色くなっていた。ずっと見つめていると、また生乾きの腫れぼったい気持が膨れ上がった。
「なんで片耳だけでラジオ聞いているの?」
振り向いた顔は、至福の時間を邪魔されて迷惑そうだった。発見。にな川って迷惑そうな表情がすごく似合う。眉のひそめ方が、上品、片目が綺麗のにつり上がっている。そして、私を人間とも思っていないような冷たい目。
「この方が耳元で囁かれてる感じがするから。」そう言って、またラジオに向き直る。
ぞくっときた。プールな気分は収まるどころか、触るだけで赤いにきびのように、微熱を持って膨らむ。またオリチャンの声の世界に戻る背中を真上から見下ろしていると、息が熱くなってきた。
この、もの哀しく丸まった、無防備な背中を蹴りたい。痛がるにな川を見たい。いきなり咲いたまっさらな欲望は、閃光のようで一瞬目が眩んだ。
瞬間、足の裏に、背骨の確かな感触があった。 

(文中より)


12月

約束の冬 宮本輝/文芸春秋

空飛ぶ蜘を見たことがありますか?僕は見ました。蜘蛛が空を飛んで行くのです。
10年後の誕生日にぼくは26歳になります。12月5日ですその日の朝、地図に示したところでお待ちしています。お天気が良ければ、ここでたくさんの小さな蜘蛛が飛び立つのが見られるはずです。ぼくはそのとき、あなたに結婚を申し込むつもりです。こんな変な手紙を読んで下さってありがとうございました。須藤俊国。
留美子は「なに、これ・・・・」 とつぶやきながら・・・(略)そして、留美子が読んでいる本をのぞき込んだ。
「飛行蜘蛛・・・?それ、るみちゃんの担当クライアントと何か関係があるの?」
「蜘蛛が空を飛ぶなんてこと、ほんとうにあるのかなと思って・・・それで図書館で借りてきたんです。仕事には関係ないんですけど」留美子の言葉に、
「うん、蜘蛛は飛ぶよ。キリギリスみたいにピョンと飛ぶんじゃなくて、ほんとに空を飛んでいくんだ。」(略)
「こうやってね、風の向きとか、強さとかを計算しながら、お尻から糸を出していくんだ」
「橋詰さん、蜘蛛がとんでいく瞬間をほんとに見たんですか?」
「見たよどれもこれもせいぜい3メートルか4メートルくらいしか飛べなかったけどね」
「うまく風に乗って飛び立っても、あの細い糸がね、もつれ合ったりしてね、それがからまってちっちゃな団子みたいになっちゃって、すぐに地面に落ちるんだ」
「蜘蛛の子が?」
風まかせ、上昇気流まかせの、千にひとつ、万にひとつの幸運の重なりだけが、蜘蛛の子を遠くの地へと大旅行させるのだと橋詰は言い、椅子に腰をおろした。
「でも、蜘蛛の子が自分の糸で空を飛ぼうとするのでは1回きりじゃないんだ。失敗したらまたチャレンジする。3回も4回もね。それで駄目だったら、自分が拡げた領域の範囲内で生きていこうとするんじゃないかな」
なまじ上昇気流にのって飛行が成功したために、鳥に食われて死んでしまう蜘蛛の子のほうが多いそうだと橋詰は言い、留美子がいれたコーヒーを飲んだ。
「ほんとにそのあと、雪が降るんですか?」と留美子もコーヒーを飲みながら言った。
「うん、ほんとに冬が来るんだよ・・・・・・」


11月

園芸福祉のすすめ 日本園芸福祉普及会編/創森社

いつの世も、人間は幸せを求めてきた。
そして、現在、多くの国ではそのことを社会そのものの目的にしつつある。
ウェルフェア(welfare)。福祉。多くの人々幸福。福祉国家、福祉社会な どといわれる。
幸福になること。幸福に生きられること。それは国民の権利である。国は人を幸せにする義務を負い、人々を幸せにするための政策と事業をおこなわなければならない。
こうしてさまざまな福祉施策が実現してきた。医療保険、老人ホーム、年金、バスの無料パス、食事の宅配、バリアフリー、ユニバーサルデザイン・・・いろんな施設や制度が工夫されてきた。しかし人々は本当に幸せになっただろうか。
私の疑問は、こうである。これまでの福祉はモノとカネだけを与えるものではなかったか。言ってみれば「経済福祉」。いくらモノとカネをもらっても、人間の
生きる力を引き出さない限り、人を本当に幸福にすることはできない。
本当に好きな仕事。本当に好きな仲間たちと本当に好きな趣味に時間を過ごすこと。自分の能力を思い切り発揮し、できればそれが他人の役にも立つこと。本当の自分で暮らしていける環境に住むことができること。できれば、素晴らしい自然、味わい深い歴史、愉快な仲間と人々と文化がそろっているような環境で暮らせること。
これを私は「環境福祉」と呼びたい。

(文中「園芸福祉の思想と目的〜序にかえて〜」より)


10月

勇気 COURAGE バーナード・ウェバー 作 日野原重明 訳 / ユーリーグ社

いろんな ゆうきが あるんだ。 すごいのから、まいにち であう ゆうきまで。
There are many kinds of courage. Awesome kinds. And everyday kinds.

そこに やまが あるならば がんばって ちょうじょうまで のぼるのも ゆうき。
Courage is if you knew where there were some mountains, you would definitely climb them.

9かいのうら どうてん、ツーアウト まんるいで だせきに たつのも ゆうき。
Courage is the bottom of the ninth, tie score, two outs, bases loaded, and your turn to bat.

かみを ばっさり きってもらうのも ゆうき。
Courage is deciding to have your hair cut.

わるい くせを なおすのも ゆうき。
Courage is breaking bad habits.

しゃべらないと やくそくした とっておきの ひみつを もらさないのも ゆうき。
Courage is the juicy secret you promised never to tell.

チョコレートバーの ひとつは、あしたに とっておくのも ゆうき。
Courage is two candy bars and saving one for tomorrow.

くちげんかを しても、じぶんの ほうから なかなおりするのも ゆうき。
Courage is being the first to make up after an argument.

たんていしょうせつの はんにんを しりたくても、さいごの ページを みたりは しないのも ゆうき。
Courage is not peeking at the last pages of your whodunit book to find out who did it.

でも なんだって ゆうきは ゆうき。
Still, courage is courage .....whatever kind.

(文中より)


9月

14歳からの哲学−考えるための教科書− 池田晶子/トランスビュー

14 理想と現実 
「理想とする人物を挙げなさい」と言われたら、君は誰の名前を挙げるかしら。(略)
高校にもなると、誰かを偉いと思うなんてことは、照れくさがって言わなくなるし、自分もああなりたいということも、はっきりとは口にしなくなる。ああなりたいなりたいとは思うんだけれども、やっぱりどうも無理かなあ、というふうな迷いが生まれてくるんだ。そして、大人になってしまうと、ほとんどの人が、そんなことは一切口にしなくなる。そして、ああなりたい、ああしたいという高い理想を語る人がいると、「何をいつまでも子供みたいなことを言って」と、たしなめるようになる。これを現実的になることだと、そういう大人たちは言ってるね。つまり、理想の反対が現実だというわけだ。
「理想の人物」に対して「現実の自分」、「理想の生活」にたいして「現実の生活」 「理想の社会」に対しては「現実の社会」というふうに両者がまったく相反するものだと思っているんだ。でも、そうだろうか。
たとえば君は、イチローを理想の人物とする。自分もいつかはああなりたいと思う。それなら君は、彼を目標として毎日練習に励み、少々の辛さでは弱音なんか吐かないはずだ。理想を現実としようとする自分の努力に疑いはないはずだよね。それならそんなふうに、理想によってこそ力強く生きられる自分の毎日、つまり君の現実は、すでに理想であるといってもいいんじゃないだろうか。
なるほど、君が実際に大リーグで活躍して、新人王になるかどうかはわからない。君は君であって、イチローではないからだ。だからこそ、それでいいんじゃないだろうか。君は君として君のやり方でイチローになればいいのであって、たとえ草野球の選手としてのイチローであれ、君が理想を失わずにその努力を続けていたのである限り、それは理想の実現なんだ。むろん、実際に大リーグに行けたら、やっぱりそれは素晴らしい。君は最初から現実の内の理想、つまり自分の天分を知っていたというわけだ。
でも、もし君がここで、実際に大リーグに行けなかったことで自分を責め、「しょせん現実はこんなもんだよ」と言い出した時、まさにそれが君の現実になる。理想と現実とを別のもの、理想を現実の手の届かないものとしているのは、現実ではなくて、その人なんだ。自分で理想と現実とは別物だと思っているんだから、理想が現実にならないのは当たり前のことじゃないだろうか。

(文中「U 14歳からの哲学[B]」より)


7月

そっと心にささやく 元気が出る50の言葉 秋山裕美/PHP研究所

・・・・・はじめからできる人はいないから
「わたし、経験がないからだめだ」と、
あきらめるのはまだ早い。
はじめはみんな初心者だから。
はじめからできる人はいない。
やってみなければ、
自分に向いているかどうか、わからない。
やってみてはじめてわかることは多い。
やってみたいことがあったら、やってみる。
はじめなければ、はじまらない。

・・・・・ 自分のためだけに元気になれないとき
好きな人のためなら、料理を作りたくなる。
ちいさな新生児のわが子を抱くと、
この子を守るために生きる意欲が湧いてくる。
必要とされたとき、強い力が出てくる。
自分のためだけに元気になれないときは、
わたしが元気じゃないと悲しむ人がいることを、
思い出してみる。
きっと、いるから。

(文中より)


6月

ライ麦畑でつかまえて 《1984年版》 サリンジャー/野崎 孝 訳/白水社

もしも君が、ほんとにこの話を聞きたいんならだな、まず、僕がどこで生まれたかとか、チャチな幼年時代はどうだったのかとか、僕が生まれる前に両親は何をやっていたかとか、そういった《デーヴィット・カパーフィールド》式のくだんないことから聞きたがるかもしれないけどさ、実をいうと僕は、そんなことはしゃべりたくないんだな。第一、そういっいったことは僕には退屈だし、第二に、僕の両親てのは、自分たちの身辺のことを話そうものなら、めいめいが二回ぐらいずつ脳溢血を起こしかねない人間なんだ。そんなことでは、すぐ頭にくるほうなんだな、特におやじのほうがさ。いい人間ではあるんだぜ。だから、そういうことを言ってんじゃないんだ。

(文中より)

キャッチャー・イン・ザ・ライ 《2003年版》 サリンジャー/村上春樹 訳/白水社

こうして話を始めるなると、君はまず最初に、僕がどこで生まれたかとか、どんなみっともない子ども時代を送ったかとか、僕が生まれる前に両親が何をしていたかとか、その手のデイヴィッド・カッパフィールド的なしょうもないあれこれを知りたがるかもしれない。でもはっきり言ってね、その手の話をする気になれないんだよ。そんなこと話したところで、あくびがでるばっかりだし、それにだいたい僕がもしそういう家庭の内情みたいなものをちらっとでも持ち出したら、うちの両親はきっとそろって二度ずつ脳溢血を起こしちゃうと思う。そういうことに関してはなにしろ感じやすい人たちなんだ。とくに父親のほうがね。いや、うちの両親はいい人だちだよ。そういうことじゃなくさ、ただやたら感じやすいんだってこと。

(文中より)

THE CATCHER IN THE RYE 《1951年発表》 J.D.SALINGER(1919〜)

IF YOU REALLY want to hear about it, the first thing you'll probably want to know is where I was born, and what my lousy childhood was like, and how my parents were occupied and all before they had me, and all that David Copperfield kind of crap, but I don't feel like going into it, if you want to know the truth. In the first place, that stuff bores me, and in the second place, my parents would have about two hemorrhages apiece if I told anything pretty personal about them. They're quite touchy about anything like that, especially my father. They're nice and all―I'm not saying that―but they're also touchy as hell.

(文中より)


5月

実践に学ぶ情報教育 これからの学習を変える 赤堀侃司/ジャストシステム

岡山県立精研高校の授業について紹介する。精研高校は専門高校で、園芸科学科と家政科があり、それぞれが精力的な取り組みを行っている。この学校のキャッチフレーズは「花の精研、福祉の精研、インターネットの精研」となっている。事実その通りで、倉敷市から車で1時間ほどの距離にある山間の学校で、生徒たちはきわめて明るく先生方の指導も自信があふれていた。誰でも明るい元気な学校を訪問することは楽しい。
参観したのは、この学校の授業であった。その研究授業のすべてが新しく工夫されている。80q離れている日本原高校とテレビ会議システムで結んだ授業であった。日本原高校も専門高校で、酪農経済科と家政科があり酪農経済科の先生の指導で精研高校がチーズを作るという実習であった。精研高校にはチーズの原料である牛乳についての専門的な教員がいないので、酪農の専門家である日本原高校の先生の指導を受けるという交流授業である。牛乳は日本原高校の生徒たちが搾ったもので、直接に精研高校に送ったものだという。調理の専門の精研高校の先生が一緒に指導しながらチーズを作るという設定で、これ以上の恵まれた条件はないであろう。

牛乳に関する専門的な話が、テレビ会議システムを通じて流れてくる。テレビ会議であるから、双方に映像が送れる。話を聞きながら生徒たちはノートをとる。質疑応答が交わされ、いよいよ実習に入った。牛乳を暖めたり、冷却やかくはんをし、
添加物を入れたりと、チーズ作りとは、まさに専門家の仕事である。チーズの製造過程での様子を映像で日本原高校に送ると、いろいろな助言がされる。その間、生徒たちの目つきや表情、真剣さが違う。専門家の助言は、素人である筆者にはわからないが、生徒たちの受け止め方が違っている。
このように専門家の説明や助言は、説得力がある。製造することや何かを作り上げることは、こんなに素晴らしいことだったのかと、改めて感じた。そして、作り上げたチーズの試食をして授業が終わった。生徒達の終わりの礼の仕方も実に丁寧で、本当の感謝の気持ちがあふれていた。昨今の高校生をめぐる寒々しいニュースが流れる中で、これが高校生の姿だと感じたのは筆者だけではなく、参観者のすべてであった。この授業の意義は、外部の専門家と結ぶことによって、学習の構えが違ったことである。それは物珍しさというよりも、専門の持つすごさと言える。

(文中「外部の世界と結ぶ」より)

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