平成16年度|平成15年度
平成16年度
9月
空中ブランコ 奥田英朗/文芸春秋 (第131回直木賞受賞作)
そういえば、最近声に出して笑った本があったっけ・・・??? と思える1冊
地上13メートルのジャンプ台に爪先立ちし、山下公平は軽く目を閉じ、深呼吸した。
手には撞木(しゅもく)。実際は鉄棒だが、習わしでそう呼んでいる。鐘を撞く木のことだ。握りを確認し、目を開いた。前方の丸い紙幕を凝視する。空中ブランコの出し物のひとつ。「紙破り飛行に臨むのだ。
ジャンプ台を蹴る。風が全身に当たる。空中に大きな弧を描きながら、両足を撞木にかける。二度目のスイングで公平は宙に舞った。頭から紙幕に突っ込む。障子紙が音を立てて破れた。目の前に、逆さにぶら下がった屈強な男が現れる。キャッチャーの内田だ。
目が合った。えっと思う。おれの手を見ろよ。次の瞬間、公平の腕が分厚い手につかまれた。ただし、バンテージの巻いてある箇所よりずっと手首よりだ。
またミスだ。最近いつもこうだ。
呼吸を整え精神集中した。頭の中で演技をイメージする。きれいに絵が浮かんだ。よし、完璧だ。春樹がカウントする。背中をたたかれ、ジャンプした。一往復。ニ往復。三度目の振りで宙に舞った。「はいっ」という声を頼りに手を前に出し、背筋を伸ばす。内田がつかみ損なった。あっと思う間もなく、公平は深い闇へ落下していった。内田の野郎・・・。腹の中で吐き捨てる。「もう一度やりまーす」というMCの明るい声がテントに響いた。
二度目の演技に臨んだ。続けての失敗は許されない。プロとしてのプライドもある。それなのに、公平は「目隠し飛行」を成功させられなかった。今度は、キャッチャーの内田の手に触れることすらなく、ネットに落下したのだ。二度目の失敗は生まれて初めてだった。下から内田をにらみつける。ブランコで逆さにさりながら、にらみ返してきた気がした。怒りで顔が熱くなった。
伊良部総合病院神経科は、瀟洒な建物の地下一階にあった。受付とロビーは明るく美しいのに、階段を降りるなり、そこは一転して薄暗く、薬品の臭いにおいが鼻をついた。この落差が公平を憂鬱にした。公平が怪我以外で病院の門をくぐるのは初めてのことだった。
ひとつ呼吸し、ドアをノックした。すると中から「いらっしゃーい」という場違い
に明るい声が聞こえた。軽く会釈をして中に入る。そこには白衣を着た太った男がいて、一人がけのソファに胡座を(あぐら)をかいていた。歳の頃は・・・よくわからないが、自分より年上であることは間違いないと思った。胸には「医学博士・伊良部一郎」の名札がついている。
(文中抜粋)
7月
夜回り先生 水谷 修/サンクチュアリ出版
「おれ、窃盗やってた」 「おれ、暴走族やってた」
いいんだよ。 いいんだよ。
「わたし、援助交際やってた」 「わたし、リストカットやってた」いいんだよ。 いいんだよ。
「おれ、イジメやってた」 「おれ、カツアゲやってた」
いいんだよ。 いいんだよ。
「わたし、シンナーやってた」 「わたし、家に引きこもってた」
いいんだよ。 いいんだよ。
昨日、までのことは、みんないいんだよ。
「おれ、死にたい」「わたし、死にたい」
でも、それだけはダメだよ。
まずは今日から、水谷と一緒に考えよう。
私は12年前に夜間高校の教員になった。そして時を同じくして、私は夜の世界、闇の世界の住人になった。この本読んでいる多くの人たちにとって、まったく縁のない世界だろう。みなさんは、昼の世界の住人だと思う。美しい花や鳥の声、なによりの暖かい太陽の光に包まれ、きっと幸せな生活を送っているはずだ。しかし私は違う。
私が学校で授業をするのは夕5時から夜9時で、週のうち何日かはその後、「夜の街」へと出かける。そこでピンクチラシや風俗の立て看板を片付けたり、盛り場でたむろする子どもたちに声をかけている。
私が住む夜の街は、白黒の世界だ。心ときめくような彩りがあったとしても、それは偽りの彩りであり、薄汚れている。街で交わされるやさしい言葉たちも、子どもを食い物にしようとする悪意にまみれたものばかりだ。
警察は、私のことを「日本で最も死に近い教師」と呼ぶ。中でも口の悪い警官は「あんたはいつか頸動脈を切られて死ぬか、おもりをつけて海に沈められるぞ」と言う。子どもたちを守るために、たとえ暴力団の者事務所でも、暴走族の集会でもかまわず突入していくからだろう。
そんな私が21年間の教員生活を振り返り、ただひとつ胸を張れることがある。それは、一回も生徒を叱ったり、殴ったことがないということだ。私は絶対に生徒を叱ることができない。
なぜなら子どもたちはみんな「花の種」だと考えているからだ。
どんな花の種でも、植えた人間がきちんと育て、時期を待てば、必ず花を咲かせる。これは子どもも全く同じで、親や学校の先生、地域の大人たちやマスコミを含む社会すべてが、慈しみ、愛し、丁寧に育てれば、子どもたちは必ず、美しい花を咲かせてくれる。もし、花を咲かせることなく、しぼんだり枯れたりする子どもがいれば、それはまぎれもなく大人のせいであり、子どもはその被害者だ。
(略)
この12年間、私は夜の世界で何千人もの子どもたちと出会ったが、そのすべてが哀しいものだった。でも、そのすべてが素晴らしいものだった。
後悔はない。ただひとつの後悔も。
文中「はじめに」より
6月
光とともに 自閉症児を抱えて 戸部けいこ/秋田書店
ランドセルがピッタリサイズになった3年生のダダが、朝別れるときにする挨拶は「行ってきます」ではありません。私の目を覗き込んで、目を見開いてパチッと閉じる・・・まるでシャッターを切るように。それで私の映像をおしまいにします。こんな小さな儀式がいくつもある。そう・・・ダダは自閉症です。
ダダを育ててきて強く感じること・・・自閉症という障害は克服されるものではなくて、その特性を理解して、上手に付き合っていくもの。それが、ダダを成長させ、私たちとの暮らしを楽にしてくれます。そして、ダダにわかりやすい環境は私たちにもわかりやすいということ。それをもっとたくさんの人に知って欲しい・・・今はそう思っています。
「あとがき」より
5月
博士の愛した数式 小川洋子/新潮社
「ルートがいないと、心の中がからっぽになったような気分です。」
私は言った。
「空っぽとは、つまり0を意味するのだろうか」
尋ねるともなく博士はつぶやいた。
「つまり君今世の中には0が存在する、ということになる」
「ええ、そんなんでしょうね、たぶん」
私は頼りなくうなずいた。
「0を発見した人間は、偉大だと思わないかね」
「0は昔っから、あるんじゃないんですか?」
「昔とは、いつだ?」
「さあ、たぶん、人間が誕生した頃から、そこかしこに、いくらでもあったでしょう。0なんて」
「では君は、花や星のように、0は人間が生まれた時にもう既に目の前にあったと思っているのかい?何の苦もなくその美しさを手にいれることができたのだと?ああ、なんという誤解だ。君は人類の進歩の偉大さに、もっと感謝すべきだ。いくら感謝してもし過ぎることはない。罰は当たらんよ」
博士は安楽椅子から上半身を起こし、髪の毛をかきむしった。心底嘆かわしくてならな い様子だった。
メロンの皿にふけが落ちそうになったので、私は急いでそれを椅子の上に滑り込ませた。
「で、誰なんですか?発見した方は」
「名もないインドの数学者だよ。・・・・・・・・・・・(略)」
「はい、そう思います」
ルートの心配が何故インドの数学者の話に取って代わられたのかよくわからないが、私は同意した。
博士が熱心に説くことであれば、それは間違いなく素晴らしいのだと、私は既に経験から学んでいた。
(文中より)
著者紹介 小川洋子 「地球くらぶ」 1本の線が照らす世界
学生時代、ずっと数学が苦手だった。中学のころはまだ要領のよさだけでごまかしてしたが、高校に入り、三角関数のsin cos tan 登場してくるあたりから早くもあやしくなりはじめた。やがて数学は、私になど手の届かない深い暗闇の世界に飲み込まれていったのである。今でも時折、白紙の数学のテスト用紙を前に絶望している夢を見る。数学の問題かがわからないときに陥る、あの暗黒の濃さには、ほかの教科にはない独特のものがある。光の気配などどこにもなくそろそろと手を伸ばしても、ただ暗がりに指先がのみ込まれてゆくばかりだ。ところが、頭のいい友達にノートを見せてもらうと、そこには光り輝く解答が、一分の隙もなく提示されている。一体どこからこの解答が導き出してきたのか、問題の内容よりも、それを解いてしまう友達の頭の構造の方に興味は行く。しかし友達の言い分は、「分かるから分かる」というだけのことなのだ。ごくたまに、自力で問題が解ける。気まぐれに引いた一本の補助線が、不意に事態を変える。あっという間に暗闇が晴れ、太陽が昇り、立った一つの正解のありかを照らし出す。自分の捕らわれている世界がどんなに小さいものか、見えていないところにどれほど豊かな世界が隠れているか、実感できる。数学の成績が悪いことではなく、こういう喜びに縁が薄かったことを残念に思っている。
(朝日新聞より)
4月
夏の庭 −The Friends− 作・湯本香樹実 /徳間書店
おばあさんのお葬式から帰った山下が言った。「死んだ人って、重たそうだった」すると河辺が身を乗り出した。「オレたちも、死んだ人が見たい!」ぼくたち三人は「もうじき死ぬんじゃないか」と噂されている、一人暮らしのおじいさんを見張りはじめた。だけど見られていることに気づいたおじいさんは、だんだん元気になって、家や庭の手入れを始めた。やがておじいさんと口をきくようになったぼくたちは、その夏、さまざまなことを知った・・・。
(文中より)