学校行事Hana・花 networkFrom 家政科精研新聞ミネルヴァの梟|同窓会新聞

ちょっと司書室から

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平成15年度


2月

忘れ雪に願いを込めて・・・

問題「恋人が、魔女に魔法をかけられて、蛇になってしまいました。あなたなら、どうしますか?」

@気づかないふりをする
Aなんとか魔法を解こうと努力する 
B自分も蛇になる

@を選んだあなたは、相手を傷つけないようにという弱者の優しさ 
Aを選んだあなたは、とても芯が強い人。決して諦めず、醜い姿に変わり果てた恋人から目を逸らさず、真正面から全力投球で魔法を解こうとする強者の優しさ 
Bを選んだあなたは、蛇になった人とともに堕ちて行こうとする、破壊的な優しさ

本校から落合高校に転勤されたT先生にもメールで聞いた。それから数日後「あの蛇の心理テストのこと、わかりましたよ『忘れ雪』でしょ」「バレましたか」「あの本、落合のある生徒から薦められて読みました。初めの章で、途中止めをしていたんですが、この前、一気に読んでしまいました。フィクションとわかっていたけれど、ぐいぐい引き込まれますよね(笑)」「そうそう!特にクロス(犬)が桜木(獣医)めがけて、走ってくるシーンなんか、鳥肌が立って、それはもう、目に浮かぶようでしょう。私も動物系のお話は、駄目ですよ」。しばらくこの本の話で盛り上がった。

T先生は、精研高校在職中も生徒の声を大切にされていた。「今度、私の本貸してあげようかぁ?」と生徒たちは、司馬遼太郎からコミックまで、気軽に薦めることができた。ある意味、ちょっと変わり者?の先生とも言える(そこが好き!)

春に雪が降ったときに願い事をすれば、必ず叶うって。地面に触れた瞬間に消えゆく忘れ雪は、願い事を天に持ち帰って叶えてくれるって。
(『忘れ雪』新藤冬樹/角川書店)

昨年3月、井原では珍しく雪が降った。あれが忘れ雪だったのかなぁ。「T先生のように、生徒から信頼されますように」と願いをかけたかったが、私が『忘れ雪』を読んだのは、桜咲く4月だった。あれから待つこと約10カ月。今年はまだ間に合うかも・・・。ただ、毎年降るとは限らない。それが問題!


12月

困っている人を見たら・・・

忍耐というのは「ここだなあ」と思い出せば、苦労も軽くなる。親切というのは「ここだなあ」と思えば、イヤ味なく接せられる。
(『光に向かって心地よい果実』高森顕徹/1万年堂出版より)

家政科3年のKさんとOさんが、交差点の横断歩道で、ダウン症の中学生を覗き込み、何やら話していた。私は学校で聞いてみることにし、ひとまず通り過ぎた。「この前、中学生と話をしていたでしょう。何を話してたの?」「えっ、あれ、見られてたんですか?あの子が突然おなかが痛いと言い出したから、Kさんと家まで送って行ってあげたの」なるほど、それで覗き込んでいたのか・・・。こういう光景も精研生らしい

少し前の話。そろろそ稲刈りシーズンかなという頃、1台のバイクが田んぼに突っ込んだ。ラッシュ時、迂回をしようとしたら、道がカーブしているのに気づかなかったらしい。通りかかった近所の人が、バイクを持ち上げようとしたが、ひとりでは到底無理だった。園芸科Hくんの家は、その田の持ち主である。Hくん兄弟に応援を求めたら、早速そのふたりとお母さんも駆けつけて下さった。

バイクの男性は「稲を倒してすみません」と言い、お母さんは「いえいえ、稲なんかより怪我はなかったですか?」と心配そうに聞かれた。しばらくして、仕事帰りのお父さんに会ったので同じ説明をすると「その人に怪我は、なかったんですか?」と真っ先に聞かれたそうな。怪我を聞くのは当然のことよ、と言われそうだが、H兄弟の優しさと頼もしさは、家庭の中で育まれたのであろう。兄のMくんは本校に入学する頃から父に耕運機等を仕込まれ、3年経った今では田植えや稲刈りの時、片腕となっているのがよくわかる。

翌日、学校で弟のAくんに会ったので「昨日はご苦労様ありがとう」と声をかけると「あっ、いやあ、どうも・・・」と少し照れていた。でも、助けに行ったそのとき、Aくんは、バイクのエンジン部分をさわって咄嗟に「熱い」と言ったらしいけど、そっちの方は大丈夫だったのかなぁ?


11月

自分は何をしたいのか・・・

月曜日には返却かごの中が、山積みになる。うっかりしていると、あふれかえっ ていることもしばしば。ところが、すっかり奇麗に片付けられていることがある。そんなとき、園芸科3年のKさんとSさん、家政科3年のOさんだな・・・と思い浮 かべ ることができるのは、私のささやかな「しあわせの瞬間」である。松下幸之介は 『人の長所が目につく人はしあわせである』という言葉を残している。私もその中のひとりでありたいと願う。

その園芸科のKさんが「園芸を通じて、お年寄りと関わり続けて行きたい、将来は施設を自分で経営していきたい。私は土とお年寄りが大好き!」と夢を語ってくれた。「自分が何をしたいのか」がはっきり語れる生徒の話を聞いていると、ついつい応援をしたくなる。

「福」と「祉」・・・どちらも「しあわせ」という意味である。植物や自然は人間に対して、しあわせを運んでくる。
(園芸福祉のすすめ/日本園芸福祉普及会編』より)

以前は家政科への貸出が多かった「福祉関係」の本を最近では、園芸科学科の生徒が借りるようになってきた。「その道に進みたいのなら、せめてその関係の本を読みなさい」と言われ、図書館へ来たのがIくん。面接や小論文には下調べが大切である。図書館の本を何度も読みかけては、挫折しているらしかったが、そのうち自分で読みたい本を選ぶようになった。試験日が近づくと、図書館へ訪れる回数が増えてきた。必ず、福祉の本を持って来るのだが、さすがに落ち着かない様子で、そわそわしている。

『ズッコケ三人組』シリーズの著者那須正幹さんが10月22日の朝日新聞の中で言っていた。

調べるということは面白いだけではなく、そこから何が真実かを考え、判断する力を養う作業でもあります。ぼんやりと資料を集め、人の話を聞くだけでは真実は見えません。受け身にならず、自分から行動してほしいですね

Iくんは試験の翌日、報告に来てくれたが1週間後の結果発表まで、今までとは違った、そわそわが続くのであった。


10月

本を読むということ ・・・

「何かいい本ないですか?」と生徒が聞いてくる時、私はいつも「どんな本がいい?」と聞き返すようにしている(実は、時間稼ぎです)。「感動する本か、こいけぃがいい」「小池?」「そう、こいけい」「濃い系?」「うん、こいけい」「こいけい???」「恋、恋愛物」「ああ、恋系ね(納得)」 。3年のYさんと、とんちんかんな会話をしていると彼女は『ささらさや/加納朋子・幻冬舎』という小説に手を延ばした。私は、しめた!と思い「この小説は、事故で夫を失ったサヤが、子供と生きていくお話で、きっと感動するよ」と自信をもって説明した。

なぜ自信を持ったかというと、昨年Mさんが同じように感動する本を探していたので、たまたま薦めた1冊だった。数日後、Mさんが返しに来た。「この本、すごーくよかった、感動しました。人はひとりでは生きられないし、死んだ人はどこかで見守ってくれていると思うんです」。彼女は、いつ話しかけても丁寧な言葉使いで、きちんとしている。まだ誰もいない図書館へ、この日はお昼休みに一番乗りでやってきた。そして、友達はいるけれど、本音を語れる友達はいないと自分のことを話し始めた。

「私の家はちょっと複雑で、お母さんが再婚なんです。今のお父さんも前の奥さんと死別で、私の母と再婚したんですが、私も絶対に結婚したいし、今ではお母さんが再婚してよかったと思います。」「お母様は、Mさんを立派に育てていらっしゃいますよね。また素敵なお嬢さんを持って幸せですね、羨ましいわ。」「先生、本を読むっていいことですね。いろんなことを考えられるから・・・」高校生はまだ子供だと思っていたが、周りの環境によっては、随分大人だなあと感じる。

わたしは今でもぼうだいな量の本を読むが、人に会ったり、現場を踏んだりするのもそれに劣らず好きである。本からは私が得たいと思っている情報しか得られないが、経験からは私が予想もしない贈り物が向こうからやってくるからである
(朝日新聞9月14日上野千鶴子『いつでも本が』より)

そう、Mさんのように本と経験が一致すると、悶々としていた気持ちが一気に晴れたり、またこれから経験するであろう未来を描いたりできる。もちろん、感動する本といっても人それぞれ感じ方が違って当然。自分にあった本をみつけてみよう!『ありますか?好きだといえる1冊が・・・』 読書週間(10月27日〜11月9日)が始まる前に。


9月

心に水をやり育てる・・・

ある日とつぜん、ふとおもいついたこと。それは神様が、ひょっこりくれるメッセージ。「あの本をよんでみようかな」とか「あの人は、どうしているかなあ」とか「あそこへ行ってみよう」とか。
『心に水をやり育てるための50のレッスン』廣瀬裕子/大和書房

70歳くらいの夫婦が自転車を引いていたが、私とほぼ同時にスーパーの駐車場へ着いた。行く先は同じお手洗いで、私は一足遅かったようである。夫は、妻の手を引き、女子トイレへ誘導した。しばらくして男性一人だけが出てきた。運転席にいた私と目が合ったので、軽く会釈をしたらトイレを指さし「すみません、ちょっと待ってやってください」と言った。その時、私は突然の思いつきではあるけれど、自動車から出て、その男性と並んで待つことにした。「何か困ったことがありましたら、言ってくださいね。駆け込みますから・・・」きっとトイレの中の女性は、目が不自由な人のだろう。

そこへスーパーの女子店員が(50才くらい)やって来たので「今、女子トイレは使用中ですよ」と知らせた。「男子用も?」「いいえ、男子用は空いています」。それを聞くと、ツカツカッと女子店員は男子便所に入って行った。待っていたその男性は「うちのも男子トイレに連れていけばよかったなあ」と、申し訳なさそうだった。

ドア付近に人影が見えたので「終わられたみたいですよ」と伝えると、くわえかけた煙草をしまい、慌てて妻の手を取った。「はようで出てけえ〜、まっとってんじゃ!(男性)」「すみません(女性)」「いいえ、入り口の段差に気を付けて下さいね」と、私は丁寧にドアを開けた。

こんなトイレのような場面に出くわした時、精研の生徒たちが「福祉」とか「バリアフリー」とか言っているのを思い出す。そして『私も精研の一員よ』と、心に水を与えたみたいに嬉しくなる(自己満足かも)

ところで、男子用のトイレに入った女性店員さんも、もしかしてバリアフリー? 


7月

いつもそばには・・・

友人から「7月に山田詠美の朗読ライブを企画したから来ない?」と誘われ「行く行く」とすぐ答えた。そうなると、授業を受ける前と同じように予習が必要で『僕は勉強ができない』は勿論、『4U』『A2Z』『放課後の音符』など図書館にある本を積み上げ、ついでに月刊「小説新潮」のエッセイ『万延元年の熱血ポンちゃん』も本屋で立ち読みした。そう、何事も目標を定めたらその過程が大切、プロセスよ!

「ダディ、僕は彼女を失う」「大切な人だったのかい」「そうか。その人は9月11日のあの事件を知った時に、一番最初に声を聞きたくなった人だった?」「皆、それぞれ家族以外に、自分たちのあの日を支えてくれた人がいるんだなあ」頼られる資格など、まだ持ち得ないぼくだけれど、すぐそこにいてあげることはできる。考えてみれば、いつも僕を救って来たのは、自分以外の人の胸の鼓動だ。それを聞かせてくれる位置にいる人々だ
(『PAY DAY!!!』新潮社/山田詠美 文中より)

自分が苦しく辛い時そばにいてほしいのは・・・

私にとってこの本は、白血病で亡くなった友人との思い出を蘇らせる。彼女の職場に立ち寄る時「最近は何を読んでるの?」と本を紹介し合った。「精研の図書館には○○の新刊を入れたんだけどもう読んだ?」「私、○○は文体が嫌いなの・・・」。その○○が誰だったか気になってしょうがない。山田詠美だっけ?林真理子だっけ?吉本ばななではなかったはず。とにかくそれは、女性の作家だった。

Kさんは病魔に冒されてからも、体調が良ければ、本を手放さなかった。外泊許可をもらって井原に帰った時「私は中毒みたい。活字がないと生きていけないのよ」と、市立図書館へ通っていた。自分がいくら病気でも、夫や子供には仕事や学校など、日々の暮らしがある。彼女にとって一番苦しい時、そばにいてくれたのは本だった。

「奥さんの亡くなられた年はいつでしたっけ?」
「99年です。僕の心の中では、今でもまだ生き続けています(照れながら)」

私が精研高校の図書館に入れた山田詠美の本は『A2Z』登録年月日は2000年2月2日。彼女の嫌いな作家が山田詠美でないことだけは、はっきりして、ひと安心。

もし、Kさんが今生きていたらこう言ってあげたい。「最近では『PAY DAY!!!』もいいけれど『世界の中心で、愛をさけぶ/片山恭一』が、もっといいわよ」と。 


6月

ライ麦畑でつかまえて

花屋の店先に並んだ
いろんな花を見ていた
人それぞれ好みはあるけど
どれもみんな奇麗だね

『ライ麦畑でつかまえて』の新訳が話題になっているので、本校図書館にも『キャッチャー・イン・ザ・ライ』を入れ、三種類の本を揃えた。興味本位で、20年前の野崎 孝訳と4月に出版されたばかりの村上春樹訳の2冊を、声に出して読んでみた(明らかに違いがわかる)。そばにいた娘に「どっちが好き?」と尋ねた。「私は断然、村上春樹!」「私も」娘と私の好みは一致した。「お父さんは、どっちがいい?」「僕は野崎 孝が好みだな」「(この言い方からして)やっぱりな〜」と娘が言った。

まずは、予想通りで、好みは年代別ということになる。野崎訳は、50年代アメリカのティーンエイジャーの口調を的確に捕らえているというので、娘・私・夫の年齢構成からみても、年代別の結果には十分納得できる。

更に三種類の本は、三つの時代をみることができるので、校内も年代別に分析してみた。生徒と40歳代の先生は村上訳、それより年長の先生方は山崎訳(勝手な憶測)。では、芳田校長先生と藤本先生と道満先生はサリンジャーということで落ち着く(異議のある方は、読んでみて下さい)

娘が二冊の『ライ麦畑』を解説してくれた。「(野崎訳)こっちは、SMAPでいうと、中居くんて感じで、こっちは(村上訳)木村拓哉って感じの本だわ」なーるほど。じゃあ、サリンジャーの英語版は『ベラベラブック』も出しているから、香取くんか・・・♪

この中で誰が一番だなんて
争うこともしないで
バケツの中誇らしげに
しゃんと胸を張っている

(『世界でいちばんの花』より)

この中に描かれている16歳、ホールディンの研ぎ澄まされたセンスと、大人になることへの不安は、どの時代であろうと同じである。


5月

一輪の花

風薫る5月、新見北高校から頂いた図書館のすずらんが、可憐な花を咲かせている。コンピュータを見に来て下さった定金先生に「とうとう桜も散りましたね」残念そうに言うと「僕は、これからの桜(葉桜)のほうが好きです。だって空気も奇麗だから」さすが、理科の先生(今は情報専属ですが)らしい答えだった。(更に詳しく聞きたい人は直接、定金先生へ)

教頭先生がある会で「桜の花は、来年美しい花を咲かせるために散っていくのです」と挨拶された。私は今まで、雨や風が吹かなければいいのにと、祈るような気持ちでいたが、そういった自然の力、つまり外の力も美しい花を咲かせるためにお手伝いをしているのだと気づいて気持ちが楽になった。

ところで、時々困った掃除当番がいる。Hさん(もう卒業したので時効)。だらだらした掃除態度に、しばらく我慢をしていたが、ある日、私の我慢も沸点に達した。雑巾を絞らず、しずくを絨毯の上に落としながら拭こうとしたので「そんな掃除は、やめてほしい」と注意すると「なら、やめるわ」と言って教室へ帰って行った(予想外の展開に私としては、かなりショック!)

掃除終了後、当番の中の一人が「Hさん本当は、いい子なんよなぁ〜」ぼそっと言った(わざと聞こえるように言ったに違いない)。数日後、別の生徒も教えてくれた。「Hさんは、髪を染めて、お化粧もして、あんなに掃除は、だらだらしているように見えるけど、真面目なところもあるんですよ。私はHさんと手話教室に一緒に通っているから知ってるんですが、一日も休まないし、ピアノだってすごく上手なんです(頑張ってるってこと)いいところがいっぱいあるんですよ」

Hさんを弁護した二人は、どちらも少し距離をおいたクラスメイトだ。もちろん、彼女自身の裏付けがなければ、こうした外の力(友人力)も威力を発揮しない。友人を通して、Hさんの別な顔を知り、ほっとした。また、そのように自分を見てくれる友人がいることをHさんは、知っているのだろうか・・・・

花は
自分の姿を見ることができない
花は
自分の香りをかぐことができない
花は
たぶん
自分であろうとすることだけで
美しく咲き匂うのだ
あるとき
私は
やさしい人の心の中に
そんな一輪の花を見つけた。

(『花時計』南郷芳明/銀の鈴社)

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