学校行事Hana・花 networkFrom 家政科精研新聞ミネルヴァの梟|同窓会新聞

ちょっと司書室から

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平成17年度


あおぞら

学習発表会シーズンになると、この学校の生徒はのびのびしているなぁ♪と微笑ましくなる。手話歌を練習している歌声が必ず、廊下から聞こえてくる。しかもバラード系が多いので、誰が歌っても気持ちよく響くのである。時々、ハモリとか入れて、チャレンジャーだ!昨年の学習発表会の後、校長先生は「精研の生徒の中には『ありがとう(感謝)』があります。」と言われた。それは今年も、きっと来年も。

今、三年生の間で静かなブームになっているのが『あおぞら』(星野 夏・ポプラ社)である。

Fくんが言った。

「先生、これすっげぇ、よかったわ。」

「どれどれ?」

最後のページに『ありがとう』と書いてあった。

「何がありがとうなの?」

「それを言うちゃあいけんじゃろ!」

「Fくんは司書だったら、絶対いい司書になるわ。その一言で、読みたくなるもの」

その後「これ、感動したで」を合言葉に次々と貸し出され「ありがとう」の意味も気になりながら、私の手元にはなかなか返って来ない。どうしても、三年生の卒業考査までに読みたいという衝動にかられ、井原市立図書館、芳井図書館とネット検索したが、すべて貸出中。こうなると、お隣の井原高校へ借りに行こうか?でも、たぶん貸出中だわ。と思っていたら、家政科三年Oさんから「私でも泣いたわ」と翌日、返却されてきた。こんな私に高校生と同じ感動を味わえるだろうか。レイプ?売春?ノンフィクション、う〜ん、ありふれた話だなぁと思いながら読み終えると「苦悩なくして精神の果実は実らない」というトルストイの言葉を思い出させた。更に、人は言葉によって自分を確認することができ、自分にぴったりくる言葉を追い求めていく。それは自分の世界を創ることにも繋がっているのではないかと。で、生徒のように、私も涙が出たかどうか?それはヒミツ。

転勤されたK先生から感想をいただいた。

「お元気ですか?『ミネルヴァの梟』ホームページアップを待ちに待って、やっと今日、まとめてうんうんと頷きながら読みました。嬉しかったと同時に心が温かくなり、なんともいえない感動を覚えました。精研って本当にいいですね。そして、言葉って使う人によって、こんなにも素敵な力を発揮できるんですね。元気をいっぱいいただきました。「精研」の心を受け継ぐ者一人として、これからも「ミネルヴァの梟」の発行を楽しみにしています」

うるうる(涙)。有り難いお言葉。今ここで、私は大変なことを知ってしまった。「ミネルヴァを楽しみにしています」と言って下さる方々は、読む事、書く事、語る事、私よりもっともっと素晴らしい言葉や感性の持ち主である。その事実に、とうとう気づいてしまった。(遅すぎたのかも。正に恥の書き捨て!)にもかかわらず、温かく見守り支えていただいた皆さんに感謝感謝!『あおぞら』より最後の部分を引用してみたい。

精研高校の皆様へ、今年も

「たくさんのことを教えてくれてありがとう!」


12

私の幸福論

映画『私の頭の中の消しゴム』と『明日への記憶』(荻原 浩/光文社)。いずれも若年性アルツハイマーのお話である。主人公は記憶が消えてしまう前に、できるだけ、日記やメモに書き留めておく。私も、時間の中にさらさらと溶けていきそうな生徒からのメッセージを、ここに書き留めておきたい。

七月、その日も朝から蒸し暑かった。新聞をめくった瞬間、私の目に飛び込んできたのは【おくやみ】欄だった。その名前は、末期ガンで入院していた友人のお父さん。私はその事実を何度も再生しながら司書室へ向い、どよ〜〜んとした気持ちでうなだれていた。

「今、体育だったからまだ教室へ入れんのよ」と家政科三年男子生徒の三人組は、毎日、挨拶がわりに図書館へやってくる。今日も元気よく入ってきた。

F君「先生、おはよう。どうしたん、この中、あっちぃなぁ。クーラーもつけず、扇風機もつけず、あらら、電気もつけずに暗い中で・・・つけてあげらぁ〜」

私 「ちょうどいいところに来てくれたわ。ねえねえ聞いてくれる?私ね、悪魔かもしれないの」

s君「はぁ?」

S君「なんでまたぁ?」

私 「今朝、新聞のおくやみ欄で友だちのお父さんの名前を見つけたの。でも私、それを見てお気の毒と思う前に、羨ましいと思ったのよ。あぁ、彼女は介護から解放されたんだと思うと・・・ねっ?私って、悪魔でしょ?」

S君「それって本人に言うのは駄目だけど、こうして僕らに言うのは、別にええんと違う?人間らしくていいと思うよ」

s君「で、先生、どんな悪魔なん?」

傍で絵本をつつきながら、聞いていないと思った彼が突然、口を開いた。

私 「私?そうねぇ〜 可愛い悪魔!」

s君「だめじゃ!こりゃ〜すっげぇ腹黒い、性格の悪い悪魔じゃ、相手にできん、もう教室へ行こうやぁ・・・」

S君「(笑)じゃあ授業へ行って来るね」

私 「行ってらっしゃ〜い」

お〜お〜デビル?『やさしい悪魔』♪ 人間らしくていい?なるほどそうかも。

そして終礼後、

s君「ほんなぁ先生、帰るけえな。」

私 「気をつけてね」

s君「うん。まあ、先生も頑張ってえな」

私 「あら、優しいのね。ありがとう」

s君が帰った後、F君が入ってきた。

F君「先生、s君、こんかった?」

私 「来たけど、今帰ったよ。私に『頑張ってぇな!』を言うために、わざわざ寄ってくれたみたい」

F君「あいつは、あぁいうヤツなんじゃ。ええとこあるじゃろ?」

 

どんな人生であれ、すべてがつらく悲しいことばかりではなく、どこかにきらきらと光る時間を抱えているはず。もっともつらいときに、自分の記憶の奥深くにある、そうしたきらめきを宿した時間を引き出してこられたならば、きっと前へ踏みだす力が湧いてくるでしょう。

『私の幸福論』日野原重明/大和書房

 

また頑張れそうな気がしてきた。


11

夢をつかむことというのは・・・


夢をつかむことというのは、一気にはできません。小さなことをつみかさねることで、いつの日か、信じられないような力を出せるようになっていきます。

『イチロー262のメッセージ』より

新体操男子、国体優勝おめでとう!

精研高校創立70周年記念式典、会場の花の飾り付けも、係の生徒の対応や気配 りも、打ち合わせから当日の片付けに至るまで、学校全体の動きは、さすがだなと思った。養護のM先生も「式の間、気分が悪くなる生徒もいなかったんですよ」と嬉しそうだった。更に「新体操、優勝」が記念式典に、花を添えたことは言うまでもない。結果が出たあとが大切。新体操チームは式典後、休む間もなく翌日の試合に向けて出発した。見送りに来られた新体操部O君のお父さんがおっしゃった。

「ひとりの力では、何もできません。みなさんに支えてもらっている から、できるのです」

 

「校歌をこんなに大きな声で歌う学校なんてありませんよ」

と、70周年の式典に出席された来賓の方、数人から聞くことができた。

「会場に入れなかった係の生徒も、生徒会長の挨拶に耳を傾け、校歌をここホワイエで大合唱しました」

と、ある先生から。

「記念式典で泣くなんてことはありませんよ。本当に素晴らしい学校です」

と、PTA役員。

「自分の結婚式でも泣かなかったのに、今日の式典では涙が出ました」

と、先日結婚されたばかりの先生からの言葉に、傍にいた人たちは思わず「えぇ〜??」

「いい式典だったらしいですね。校長から聞きました。」

というI高校の先生からの声も届いている。

確かに60周年記念の式典にはない感動が多かった。

何ヶ月も前から準備してきた『精研桜、押し花のしおり』。試行錯誤しながら焼き上げ、コース別に分担して袋詰めをした『精研桜のクッキー』。どの先生も同じことを言われる。「生徒が考えたのです」「生徒が頑張ったのです」「生徒が、生徒が、生徒が」。いつでも生徒が主役。となると『花のしおり』は大切にバッグへしまい、『精研桜クッキー』はもったいなくて、食べられない。この度の70周年記念式典は、新体操の優勝と高校再編という、華やかさと寂しさと不安が入り混じった中で、誰もがバランスのよい充実感を味わったのではなかろうか。

 

「教えるとは希望を語ること、 学ぶとは誠実を胸に刻むこと」

フランスの詩人アラゴン

 

新体操、記念式典への祝電の数々。会場や式場に来られなかった旧職員の方々、保護者や卒業生、それぞれの場所で応援し、温かく見守って下さっている。共に築いてきた精研の教育と文化、本校に関わりのある皆さんに伝えたい。

「見てください。 『精研』は、みんなの手で、こうして立派に受け継いでいますよ」と。


10

「となりのせきのますだくん?」


あたし、きょうがっこうへいけないきがする。だって、あたまがいたいきがする。おなかがいたいきがする。ねつがあるようなきがする。あたまがいたくなればいいのに。おなかがいたくなればいいのに。

『となりのせきのまずだくん』より

私は小学生の頃、先生って学校へ行きたくない日はないんだろうな。偉いなぁ。きっと、大人になれば、みんなそんなことは思わなくなるんだと、信じていた。でも、大人になっても最近では、ますだくんの「あたし」の気持がずっと 続き、キリキリと胃が痛む(大人といっても、大したことないんだわと妙な開き直り)。だけど、今日は絶対に言わないといけないと思う。そんな気持ちで、放課後を待った。

体育祭の準備期間中、いつものように男子生徒が「パソコン使わせてくださーい」と言って、慣れた手つきでパソコンのスイッチを押した。今だ!

「あのう、ちょっと聞いてくれる?君たち、毎日のように放課後、ネットやゲームをしているけれど、体育祭の準備や練習はいいの?大丈夫?」

「僕達のクラスまとまりが悪いんです。みんな帰って、集まらないし・・・」

「でも、他の人がそうだとしても、ここでパソコンしてるんだったら、君たちも一緒じゃないの?『やろうよ!』とか『何しようか?』って聞いたら、いいんじゃな いかなぁ。私は、君たちのクラスの様子は、わからないけれど」

生徒は沈黙。さらに私は続ける。

「居場所がないんだったら、受身でなくて自ら居場所をつくら なきゃ!もし、図書館に逃げて来るんだったら、私は嫌だわ」

せっかく立ち上げたパソコンにも触れることなく、次のメッセージが表示されている。でも、男子 生徒は聞いている。

「パネルを作ったり、応援合戦の練習をしたり、みんなと一緒にしていないと、勝った時、同じ感動を味わえないよ。負けた時、悔しさを共 にできないよ。」

「・・・(男子生徒)」

「精研高校は地域ふれあいデーや学習発表会など、協力する行事が多いでしょ。君たちはこれから先もまだまだそうい う場面に出くわすと思う。だから今こそ、自分は何をしたらいいのか、考えてほしいの。ほら、見てごらん、3年生は誰も来ていないでしょ?それでも、ここに居させて欲しいというのなら止めないけどね。いつもの放課後だったらこんなこと言わないけど、あと数日間は考えてほしいな」

ここまで言うと3人の男子生徒 は、パソコンを終了して出て行った。あぁ、残酷なことを言ってしまったのか・・・?でも、ふてぶてしい態度じゃなかったし、きっと、わかってくれたんだと思う。そう、自分に言い聞かせていると、閉館時間の10分前、さっきとは違う2年生のパソコン常連くんがやってきた。時間もないし、今日のところは、もうこれ以上いいかぁと気を緩めた時、図書館へ入って来た3年男子生徒が言った。

「おい、自分らのクラスは、体育祭の準備はいいんか?」

と。

うむ?外で聞いて いたの?と思えるような出来事にほっとした。


星になった少年


夏休み最後の日、私は娘と2人で映画を見た。元気よく、Fくんとの会話。

Fくん「やあ、先生。久しぶり、元気だった?僕、夏休みに映画を見たんで」

私「Fくんも元気そうね。何の映画?私も夏休みの最後に娘と『星になった少年』を見たのよ。娘が、友達と妖怪なんちゃらを見たから、今度は、感動する映画を見たいと言ったの。『母娘で見てよかったぁ』と思える映画だったわ。今回、3回は泣いたね。」

Fくん「先生も見たん?僕も『星になった少年』を見たんよ、あれ、すっごいよかったよねぇ」

私「どのシーンが心に残っている?」

Fくん「そりゃ、最後にテツのお母さん、常盤貴子が屋根の上で号泣するところ・・・」

私「うんうん、わかるわかる」

貸 し出しカウンターに座っていた2人は、夏バテも台風も吹き飛ばすくらい盛り上がっていた。私たちの興奮には、ついていけんな〜という周りの視線を感じたが 「児童書で読んだ」とか「漫画で読んだ」という仲間もいて、Fくんとの話に拍車をかけた。「映画をみた〜い!」という生徒もいるのでその後、原作の本も図書館へ購入してしまった。

私「見て見て、Fくん!」

Fくん「あっりゃ〜、先生、遂に本まで入れたん?」と。

 

「お袋はタイで行われているゾウの子別れの儀式って知ってる?」
「みたことないけど聞いたことあるわ」
「タイでは 仔象が4、5歳になると母親と離して訓練を開始するんだけど、このとき、人間が無理やり親子を離すんだ。お母さんゾウを大きな木に鎖でつないで、仔ゾウだ け別の場所に移動させるんだけど、その時、母ゾウがものすごく暴れて、悲しげな声を出すんだ。仔ゾウも悲しそうに・・・俺は見ていられなかったよ。日本に いるゾウのほとんどはそういう経験をしてきているんだ。・・・」

『ちび象ランディと星になった少年』(坂本小百合/文芸春秋)より

悲しく切ない場面だ。

 

映画を見た翌日、東京へ戻る娘がおじいちゃん、おばあちゃんに挨拶を して帰ってきた。

私「おにぎりを作ったけど、コンビニのじゃないから、ラップを剥がしながら新幹線で食べるのは恥ずかしい?」

娘「食べる食べる!映画の中でもテツがおにぎりもらってたよね。初めて象ショーをする時の、緊張してたあれみたい(笑)」

私 「あっ、そうだったわね。おなかすいてるでしょ。『これ食べな!』って、あーちゃんが出すのよね(再現&笑)」。

 

ぞうさん ぞうさん おはながながいのね

そうよ かあさんも ながいのよ

作詞 まど・みちお

 

動物の世界も人間の世界も、母と子は、どこにいても永遠に繋がっていると信じていたい。


1冊の本が生き方を教えてくれることもある


6月は雨も降らず、暑い日が続いた。冷房を許可された日、5、6時間目の休憩時間、あまりの暑さに3 年生の生徒が10人ほど入ってきた。

「3年生の皆さん、涼みにきたのかもしれないけど、今の時間は冷房が入っていません。なぜなら1、2年生も暑い中、我慢しています。3年生だけ涼しかったら、不公平でしょ。私も我慢しますから、みんなで我慢しましょう」

「大丈夫です。クーラーが目的できているのではないから」

ひとりの生徒が言った。聞き分けのよい3年生は、それ以降、何も言わなかった。

図書課の大月先生は「1冊の本が人生を変えることだってあるんですよ」を合言葉に、図書購入を任せて下さっている。3年生になると、図書館が近いのは大きな特典で(それだけではないけれど)、A組は4月からの貸し出し率 が、70パーセント。(クラスの貸し出し生徒数÷クラス全体の生徒数)多くの生徒が図書館の本を借りていることになる。

園芸科学科の男子生徒Nくんが『いま、会いにゆきます/市川拓司著』を返却しにきて「感動する本がもっと読みたい」と。

「ちょっと厚めだけど『愛のひだりがわ/筒井康隆著』はどう?・・・ な、お話よ」

「じゃあこれ借ります」

両手で大切に持って帰った。あそこまで、喜ばれると本も本望だわ!

数日後、「最後が本当によかった」と大満足で返却し てくれた。「でっしょう〜。」私も大満足!

かといって、「これ、全然意味わからなかった」と言われることもある。しかし、感動は経験値によるものだから、 みんなが同じ感想を持つとは限らない。そう思うと、「私はよかったけれどね・・・。」を付け加えれば、どんな本でも薦めることができる。

「今日、保育の時 間、、涙が出そうになったわ」

何々?興味深げに聞いてみると絵本の話だった。『さっちゃんのまほうの手/たばたせいいち著』を聞いていたら可哀想で。

「さっちゃんのまほうの手は小学校の教科書にあったでしょ?」

「あった、あった」

「さちゃんはお母さんになれないよ、だって、手の無いお母さんなんて変だ もん、っていうよね。その、さっちゃんが大人になって、本物のお母さんになった本もあるわよ『おかあさんの手、だいすき』ていうの。」

「え〜っ?ほんとです か?そう、こういう本がもっと読みたい」

小学校の時に出逢ったお話、高校生になって改めて読んだ絵本、内容は同じでも、受け止め方は違っている。おまけに その続きがあれば、益々興味がわいてくる。

「この本は、『17歳のオルゴール町田知子さんが、17歳の時、一生懸命書いた文字と詩。こんな身体にで生ま れてきてごめんなさい。なんて書いてあると、涙がこぼれそうよ。」

「うちのお母さん、絶対に感動して泣くわ!」

そう言って、Kさんは何冊も借りて行った。

本を役立てようと頑張らなくてもいい。読んだ後の感想が、答案用紙のように、皆と同じでなくてもいい。時として、何気なく手にした1冊の本が生き方を教えてくれることもある。


風の旅・・・


中間考査の頃「今日は十二時に閉めるけどごめんねぇ〜」

そこにいた三年生が、どうしてぇ?という顔をしたので

「私の大切な友達の大切 な人が重体らしいのよ。駆けつけて力になってあげたいから」

「へぇ〜、先生はそういうことができる人なんですか?私だったら、どうしたらいいのか、わから ないわ」

「何にも特別なことはしない、ただ話を聞くだけよ(笑)」

そう言っている間に、図書館常連三人組は窓を閉め、カーテンをしてくれた。

現在私には 『実母』『義母』『お母さん』がいる。友人のお母さんを「お母さん」と呼び、遊びに行くと必ず、「野菜はある?漬物は食べる?」と。帰る時には、ちゃんと 荷造りができ、玄関へ準備してある。その「お母さん」が癌だと聞かされた時、私も、かなりショックだった。術後も気になるので、時々様子を聞いていた。

私:「Tちゃん、お母さんは元気?」

T:「母はいいんだけどね、駅家の義父さんが、意識不明なのよ。」

全 く予期しなかった返事に、私は「どうして?」とも聞けず、とにかく、Tさんに会いたくなった。この義父さんという人が、これまた、いい人である。私が遊び に行った日のこと「孫に会いに来たんじゃ。」と義父さんが来られ、玄関へ入ったかと思うと、「ちょっと買い物をしてくる」。すぐに出て行かれた。戻って来 られた時には同じような袋をいくつもさげて、お嫁さん(Tさん)と孫、友達の私にまで、年越し用のお土産を下さった。そんな思い出話をしながら、じわりじ わりと核心にふれる。

話によるとバイクで事故に遭い、今日まで意識不明が続いている。しかも、回復は難しいと。「おじいちゃん、来たよ。まだ寝てるん、そ ろそろ起きて」。語りかけても返事はない。いつも独り言。

私:「毎日決まった時間によく来てあげるよ。一緒に住んでいなくても、Tちゃんにとっ て、ほんと大切な人だものね。柳田邦男の『犠牲(サクリファイス)』で読んだことあるけど、本人からの応答はなくても、聴覚は最後まで生きているんだっ て・・・しっかり語りかけてあげるといいわ。きっと聞こえているはずよ」

T:「ありがとう。義父さんには、孫が何人もいるけれど、うちの二人の子どもをよく可愛がって下さったから、最期がくるまで、通い続けようと思う。恩返しかな(笑)。ところで、今晩のご飯はもう用意した?これからうちの家へ寄って、炊き込み御飯を持って帰って」

私: 「あっら〜、いいの?ラッキー!」生徒にはあんなカッコイイこと言って飛び出してきたのに、助けてあげるどころか、夕食までもらってしまって、あぁ、いつ ものパターンだ。

面会の時間が来た。一分でも、一秒でも長く生きていて欲しいと願う気持が、今日も彼女を病室へと向かわせている。

ほんとうの ことなら  多くの言葉はいらない 野の草が 風にゆれるように 小さなしぐさにも 輝きがある

『風の旅』(星野富弘/立風書房より)


美しい色って?

先日、Y先生と園芸科の生徒が玄関を花で飾っていた。その中の一人が私に「さようなら」と言ってくれたので「頑張って ね!」と、覗きたい気持を抑えて潔く帰った。翌日見たものは、切り株の中の万華鏡、華やかな胡蝶蘭と蘭づくし、全体は色彩豊かなしあがりで、それに架かる 七色の虹・・・八番目の色は何がいいかなと考えた。

そこで今回のちょっと司書室は「色」について。

私:この前聞いたんだけど言葉に色があるのを知ってる?例えば、「有難う」と言うと自分の周りに綺麗な色が出ている。その類いの言葉をたくさん使えば自分を綺麗色で囲めるのよ。

T:じゃあ、「おっさん」とか「てめえ」とか「ムカツク」とか言うと、相手に伝わっていなくても、あまり好まれない色になるのね。

私:その自分で吐き出した色を吸うと、悪い病気になりそうでしょ(笑)。

人 の陰口、批判、、人を攻撃している時は「暗い色」「濁った色」が。顔の表情も強張っているし、空気も淀んでいる。つまりそれは、言葉の奥にある『心』が、 綺麗な色とそうでない色を作り出すのではなかろうか。

尼崎の脱線事故とは、関係なく、なぜか数日前に新着図書に入っていた『塩狩峠』(三浦綾子/新潮社) より抜粋

「いつも寝ていて、何年も外を見ることのないふじ子には、ありふれたタンポポ一本にもいろいろな風景が浮かぶらしかった。だがそれにもまして、自 分を喜ばせようとする信夫の心持ちを、いつも鮮やかに感じとってくれるのだった。(略)人の好意を受けとめることにかけては、ふじ子は天才的ですらあっ た。(略)リンゴやミカンを買っていくと、ふじ子は手にとって飽かずに眺めた。ねえ、永野さん。こんなきれいな色をお作りになったのは、神様なのね。私は 神様の絵の具箱がみたいわ。神様の絵の具箱には、いったいどれほどの種類の絵の具があるのかしら」

『簡単!びっくり!炊飯器クッキング』この料理本は炊飯器で作れるご飯はもちろん、ケーキから茶碗蒸、肉魚料理に至るまで簡単にでき、新・カリスマ主婦になれそうだ。その本を返却に来た家政科三年のKさ んに「その本の中で、いい料理がありましたか?」と尋ねたところ【炊き込みいなり寿司】がよかったと教えてくれた。「前の日にみつからないように秘密で準 備しておいて、おばあちゃんの誕生日に作ってあげたんです。美味しかったからお薦めですよ」お誕生日だからケーキやクッキーもいい。更に「おばあちゃん+ お誕生日=炊き込みいなり寿司」という公式が、優しい女子高生らしくて、聞いているだけで嬉しくなる。おばあちゃんのお祝いに家族が集まり、綺麗色に包ま れた食卓が想像できる。

精研の生徒といえば、小説やエッセイは勿論のこと、それ以外の『料理本』にも絵の具箱のパレットを開き、こうして図書館のカウン ター周辺をしあわせ色に染めてくれるのである(ちょっと自慢)。


桜に思いを馳せて

桜の花は「開花日」から毎日の気温を足してゆき、125℃に達すると「満開」になるという「法則」もあるそうだ。
(毎日 新聞4月12日付「さだまさしの日本が聞こえる」より)

つまり、気温が低いと長い間、桜の花を楽しめるということになる。

小田川の桜が満開になる頃、私は そわそわする。今年もひとり、何度も夜桜を見てしまった。それは娘が大学と高校へ進学した、嬉しいような、寂しいような春「ありがとう!」を言いながら、 大切に育ててもらった小学校、中学校、高校を回ったことを思い出すからである。どの学校も「ようこそ」と言わんばかりに、桜が咲き揃っていた。終着点は井原堤の桜の木の下、二人の娘は、できの悪いドジな母の話をいくつもしてくれた。

「そういえば、お姉ちゃんの高校がお休みの日、みんな寝過ごして、気がつい たら8時過ぎてたのよね。大慌てで、お母さんが中学校へ『病院へ行きますから遅れます』と連絡して、私は2時間目から行ったのよ。その日は病気ということ になっていたから、私は女優!調子悪そうに身体を丸め、大きな声で話すことも、笑うこともできなかったのよ。時々咳払いとかしてさ・・・(笑)」

「遅刻と いえば、井原線が開通した日、バス路線の変更を知らず、待っていてもバスが来なくて、高校へ送ってもらったのよね。6,7分くらいの遅刻だったけど、遅刻 は遅刻。と思っていたら、『今日は特別な日だから、学年主任と話して、遅刻は無しにします。でも、次からは駄目だぞ』と担任の先生が教室へ伝えにきてくれ たのよ。嬉しかった。あの日がなかったら、皆勤賞を目指そうと思わなかったもの。」

「いろんな規則があるけど、先生も高校も捨てたもんじゃないと思える出 来事だったよね」

水面に桜の花びらが舞散って、筏のように流れていく・・・そんな様子を花筏といいます。美しい春の風景ですね。咲いている花を愛でるこ とは誰でもしますが、散る桜、散った花を愛でる人は少ないかもしれません。桜吹雪、花の雨、飛花、そして葉桜・・・。その時々の桜を人々は言葉に映して、 愛してきました。〜散る桜 残る桜も 散る桜〜〈良寛和尚〉
(『美人の日本語』山下景子/幻冬舎より)

娘たちが井原を離れて四度めの春。小田川の川面に 映るぼんぼりと、暗い闇にくっきり浮かぶ桜並木は、相変わらず幻想的だった。独り占めするにはもったいないので、遠くにいる高校時代の友人に知らせた。

「潔さ、華やかさ、儚さ、出逢い、別れ、旅立ち、桜って奥深いなぁ・・・。桜が綺麗だと感じる心を持ち続けていたいね。夕方の濡れたアスファルトのにおい に高校時代の帰り道を思い出したよ」

「小田川」「桜」、高校に入って初めて覚えた校歌は、青春の入り口のような気がする。

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