学校行事Hana・花 networkFrom 家政科精研新聞ミネルヴァの梟|同窓会新聞

ちょっと司書室から

平成17年度平成16年度|平成15年度平成14年度

 

平成16年度


『あなたに伝えたい』学習発表会

学習発表会が終わった。私も精研で10年が終わろうとしている今、植先生と共に華々しいデビュー(?)をした。3年生に「面白いことをしてほしい」という課題を与えらていたので、植先生と念入りな打ち合わせをするはずだった。アンパンマンとバイキンマンが仲直りして、手を繋いで登場するとか、永山先生が私の顔のお面をつけて登場するとか、いかにも白けるのでそれは・・・と永山先生には即、却下された。結局、土壇場の数分で決まった。「・・・でもそれでは、植先生が全部悪者になりますよ?」「盛り上がればいいんですよ〜(笑)」。頑張っている食物コースの人に失礼があっては申し訳ないので、私は次のような感想も準備しておいた。

「食物コースの人は、食物検定の度に図書館へ通って来ました。試食会ではいろいろな条件をクリアした料理が出され、将に、ひと皿ひと皿が作品です。料理が目の前に並べられると、参加された先生方から笑みがこぼれ、自然に隣の人とお喋りしたくなるような素晴らしい料理ばかりでした。また、『料理の中に赤いものを添えると食欲が増す』といいます。スープ以外は、みな赤いものが盛り付けられていましたが、サラダの上にはキューイとオレンジで赤いものがありませんでした。が、食材をみるとレッドキャベツでしたから、ここにもしっかり『レッド(赤)』が使われていました。お見事!18年間で培ったこのセンスと、3年間で身に付けた技術を更に磨いていって下さい。そして、食物コース皆さんの夢が大きく広がりますよう期待します」と、ここまでを考えていた。なんだけどぉ〜、植先生が「じゃんねん!」と思いっきりかんでしまった瞬間、美味しいところをすべてもっていかれたのだった。

ベートーベンはドイツのボンで生まれました。ベートーベンは耳が遠かったんですね。したがって生家に行きますと、彼の生まれた部屋、彼の弾いたピアノとたくさん残されたものの中に、若い頃から使っていた補聴器がずらーっと並べてありました。僕は彼が若い頃から使い始め、だんだん大きくなっていく補聴器を見ながら、次第に聞こえなくなっていくときの苦労というものを感じ取ることができました。モーツァルトは・・・(略)手話のいろんな勉強のしかたの中で僕がおすすめできるのは、歌で覚えてしまうことです。あなたの好きな歌だったら、あなたの表現力が、身振り手振りがつくことによって、豊かな表現として、あなたの歌を支えてくれます。好きな歌の手話を覚える。これがとても身近なものになります。

『あなたに伝えたい』(永 六輔/大和書房)より

家政科3年Tさんのおじいちゃんは、井原小学校児童と手話サークルをドッキングさせて、約20年前、この井原の地で初めて手話歌を歌わせた人であり、長年勤めた井原の街を今もなお、愛している人である。発表会後、感動の渦の中で話して下さった。その一部を紹介したい。

手話歌は単なる言葉の羅列だけでは表現できません。独特の解釈をしなければならないからです。物まねではなく、精研高校によって継承され、しっかり根付いていることを嬉しく思います。精研高校の皆さん『精研文化』をありがとう!


12

嬉しいこと

「新着図書は、いつ貸し出しできますか?」「う〜む、期末考査最終日かな。試験前だと、誘惑されて勉強の邪魔になるでしょ!」「試験てのは、日ごろの学習態度できまるんですよ」「ほうほう(彼女にしては、なかなか立派なご意見)」「だから、諦めが肝心なんです。キッパリと・・・」「???(そういうことなの?)」

「『ライオンボーイ』は、いつ貸し出してくれますか?」「来週にでも。リクエストした本人だからNさんは一番に借りることができますよ」「やったぁ〜、先生大好き!生徒の喜ぶ顔みたいじゃろ・・・」「そうそう、喜ぶ顔を見たい見たい!」。嬉しいことといえば2、3年前から図書館を訪れる生徒がよく本の話をするようになった。『博士の愛した数式』や『親のこころ おむすびの味』など感動したところを。

話題の『いま、会いにゆきます』は、昨年11月現3年Sさんが返却するとき「よかったわぁ」と始業のチャイムが鳴る寸前まで、あらすじを話してくれた。感想がいつも手厳しい3年のTさんは『蹴りたい背中』『蛇にピアス』など。この前は「ショック!『ブラック・ジャック』はブリーフをはいているんだってさ」「へぇ〜、うっそ〜」「それは今の時代だからトランクスか、ボクサーパンツよね」と周りも巻き込み、みんなで笑った。

つい最近では『ダヴィンチ・コード』を返却しに来た3年Hさんが「本って、自分の知らない世界を開いてくれる」と読書週間のチャッチフレーズにしてもいいような素晴らしい言葉を残してくれた。「何々?」と改めて聞きなおすと手にしていた本のページをめくり「1・618という数字は、黄金比といって自然界のいたるところに見られる・・・他にも例をあげようか。肩から指先までの長さを測り、それを肘から指先までの長さで割る。黄金比だ。腰から床までの長さを、膝から床までの長さで割る。これも黄金比。手の指、足の指、背骨の区切れ目。黄金比。・・・きみたちひとりひとりが神聖比率の申し子なんだよ。」ねっ、神秘的でしょ。

休憩時間、運よく、3年Fさんに出くわした。「この前言っていた『ボタンの本』入ったわよ」「うわぁ、ほんとですか。嬉しい。ありがとうございます。今日、借りに行きます」手をふきながら、廊下を歩いて行ったFさんは教室へ入る前にもう一度振り向き「先生、ありがとう!」と大きな声で言った。私の尊敬する倉敷S高校の司書が「私たちの仕事は、当たり前のことをして喜んでもらえるのよね〜」とおっしゃっていた。全くその通りです。

転勤された先生方に「最近、精研は落ち着いているらしいですが、生徒たちはどうですか?」と聞かれることが多いけれど、いつも正直にこたえることにしている。「私は図書館へ来る生徒に関してしかわかりませんが、最近も10年前もいい生徒ばかりで変わりませんよ。更に変わらないことは、当時約500人いた生徒が、現在約350人に減っても、貸し出し数が10年前と変わらないというのは、もっと嬉しいことです。」と自信をもってこたえた。

変わっていくもの/変わらないこと/信じる気持に/素直でいたい

日本語詞・吉元由美 歌・平原綾香『Blessig 祝福』より


11

沈丁花と金木犀

秋の風が頬をうった。頭上に青空が広がっている

(『春のソナタ』三田誠広/集英社冒頭より)

この『春のソナタ』をみつけた生徒が「これって『冬のソナタ』の続き?」と聞いてくる。残念ながらこのふたつは全く別物です。ところで、花の中で春の香りの代表といえば沈丁花。秋の香りの代表といえば金木犀・・・だとすると。

6月球技大会の日、私はひとり司書室に籠もっていた。窓の下でジャーリ、ジャーリ。このジャーリのリズムと和音は私の中で心地よく響いている。ザクザクザクッ!突然、切断された心地よいリズム「浜ちゃーん」「ふぉ〜い(こんな感じの返事)」「私ら優勝したんよ〜」「そうかぁ」ザクザクザクッ〜!ジャーリ♪再び砂利をなでる音と共に、心地よい響きも再生された。ハテ?今のは誰だったのか、慌ててグラウンド側の窓を覗くと、バレーボールのコートへ跳びはねながら走って行く1年生か2年生?らしき姿がみえ、待ち受けていた仲間の歓声に迎えられていた。はは〜ん、今のはあの子たちだな。

9月体育祭、力の入った応援合戦。長田先生率いる新体操部員が(もちろん長田先生も)クラスの目玉として感動を与え、盛り上げてくれる。また、女子に交じっても怯むことなく走った、家政科男子生徒のリレー。まるで各クラス秘蔵のお宝を披露しているようだ。それらのどの生徒も真顔なのが、観客席を和ませてくれる。

家政科の3年生が言った。「そうなんよね〜、私たちにはメインとして出すものがないのよね・・・」可愛い衣装と踊りがあるではないか!準備週間の頃、3年の生徒が何人もつぶやいていた。「今、こんなことをしていていいんだろうか・・・」応援合戦の笑顔の奥には、これからの進学や就職に向けて、不安があるに違いない。それを打ち消すかのように、ひとりひとりがクラスの宝となり、素敵な笑顔で踊っている。

長い冬を越え、春に向かっていくけれど、どこかもどかしい甘さのある沈丁花。一方、金木犀の甘さには、暑い夏を越え、これから冬に向かっていかねばならない、ツンと張り詰めた覚悟のようなものを感じる。いつの間にか私は、3年生の演技の中に金木犀とよく似た香りを思い浮かべていた。

6月の球技大会は沈丁花。9月の体育祭は金木犀。甘い香りが季節感とわずかな幸せをもたらせてくれる。


10月

チューインガム

30年ぶりに中学校の仲良しに会った。私の隣に座っていたTちゃんが言った。
T:「私、最近初めて知った漢字があるの。今までずっと思い込んで使ってた漢字なんだけど、なんだたっけ・・・?」
私:「『完璧』じゃないの?」
T:「そうそう、それよ。ぺきは『壁』だと思ってた」
K:「え〜?違うの?」
T:「違うのよ!かべじゃなくて下が『玉』なのよ」
F:「え〜?そうなんかぁ、今知った!」
私:「私たちの中学の頃は『壁』(かべ)だったのよ。いつ改訂されたんだろうねぇ〜」
皆:「そんな馬鹿なぁ・・・笑」
この4人グループは仲がよすぎて、私たちを分裂させるために、クラス全体の班がえが行われたこともある。中でもKくんにはどうしても会いたかった。

私は中学の時、土曜日の放課後、1回だけ不良になった。体育館付近でKくんから新商品のガムをもらい、1枚を女の子3人で3等分して食べていた。ところが運悪く、そこへ生徒指導の先生がやってきたのである。慌てたK君は「Nが来た。みんな(3人)ガムを捨てて女子トイレに隠れろ。絶対出てくるな!」しかし、このN先生は今の『夜回り先生』(著・水谷 修/サンクチュアリ出版)のような先生だったので、Kくんも潔く連行され職員室へと消えて行った。

先生というのはこういう時、ガムの件はしかたないにしても、頭髪がどうだの、服装がどうだの靴下がどうだのと、あれこれ注意する。残された私たちは女子便所で、ただオロオロするばかり。どれくらい待っただろうか。彼が釈放され出て来た時には、随分不機嫌だった。こってり絞られたらしい。こうしてKくんは私たち女子3人を守ってくれた。そのことがずっと忘れられず、いつか会える日が来たら、私はあの時の宿題を終わらせようと思っていた。「今の私があるのはKくんのお陰よ」

でも、今回集まった仲間のうち、その時の関係者は私とKくんだけだから、どこでガムの話を切り出そうか、突然真面目な話をすると白けるし・・・と迷っていたところ、隣に座っていたTちゃんが言った。
T:「中学校の時、ガムを食べてKくんに助けてもらったのよねぇ〜」
私:「あっれ〜?あの時のもう1人の女子ってTちゃんだったの?」
彼女も私と同じように30年間、罪悪感をもち続けていたみたいだ。
F:「そうか、Kっていい奴だったんだ」

会話の中でKくんは言った。
「僕は家族で外食しても家に皆んなを連れて帰るまで、絶対にアルコールは飲まないと決めているんだ」そういう彼の薬指に結婚指輪がなかったので「K君はしないの?」聞いた後、左手の薬指を出したその指は、第1関節から先が歪んでいた。
K:「2年前、仕事で指を落としてしまった。どうなってもいいから、とにかく指をつけてもらったんだよ」
私:「え〜っ!ムカデが出て来たくらい怖い話だわ」(昨晩、百足を退治したばかりだったので。)
F:「馬鹿な、こっちの方が怖いわ!」
危険と背中合わせ。今の仕事にたどりつくまで回り道はしたけれど、この仕事が一番好きだし、やり甲斐があるという。体を張って家族を守り働いている彼が、中学校の時、守ってくれた彼と重なり、今では一家の主として頼もしく映った。

『夜回り先生』も利き手の指を1本落としている。生徒を救えるのなら、安い買い物だと。先月号では、「年よりだから指の1本や2本なくったって」と言った義父。今回は「とにかく付けてほしい」と医師に頼んだKくん。いずれも守りたい人がいることに、かわりはない。


9月

私のメル友は82歳!!

どたキャン

『広辞苑』第5版に「どたキャン」が載ることになった。土壇場キャンセルの略。直前になって約束を破棄する意味の俗語である◆近所に喜寿を迎える夫婦がいる。二人は寄り添って暮している。おじいさんは実年齢より、ずっと若々しい。「老人手帳なんかいらん」という。おばあさんはパーキンソン病のため、年々弱っていくようだ。だから外出するときには、おじいさんが杖がわりをする◆二人は毎朝、涼しいうちに散歩をする。その日もいつもと同じように歩いていた。向こうから顔なじみのシベリアンハスキーがやってきた。おじいさんは自分の家から持ってきた餌をやった◆ガブリ!その時ハスキーは、餌と一緒におじいさんの指まで食べてしまった。痛いと思った瞬間、真っ赤な血が噴き出た。犬は指だけ吐き出した。それを持って近くの病院へ駆け込んだ。「川崎医大なら、指をつなく技術がある」と言われ、川崎で検査し、手術をすることになった。手術服に着替え、専門の医師たちが続々と集まってきた。「できる限りのことをやらせていただきます」◆医師から合併症、入院等、詳しい説明を聞いた後・・・「やっぱり今日帰れる簡単な手術にして下さい」「えっ、いいんですか?指はもどりませんよ」「もう年寄りだから、指の1本や2本なくなったってかまいません」その結論がいいか悪いかわからないけれど、おじいさんらしいと、周りの人たちは言った。77年間共にした体の一部が、目の前で失われる。そう思うと切ない気もする◆しかし、自分の親指より大切なものが、そこにはあったのだ。今の生活が・・・・。

1998.9月 図書館便り掲載 『ちょっと司書室から』より

平成10年に『どたキャン』でちょっと司書室(1998.9月号参照)に登場した喜寿の夫婦、実は私たちと別々に暮らしている義父母である。

親指の頃、まだ一緒に散歩していたんだと懐かしくなってきた。どこかの洗剤コマーシャルのように、スキップはしないけれど、近所で有名な仲良しおじいちゃん夫婦だった。義父の日記によるとパーキンソンの発病は平成3年だから、病気とは13年の付き合いで、とうとう義母は寝たきりになった。ゆっくりとエピローグへ向かい始めている。

七月の初め、突然二人がいなくなったという知らせを受け、家族、親戚中、大騒ぎをした。私は偶然にもその時『二人で生きたかった』・・・痴呆症の妻と心中する・・・という本を登録しながら、ひとりうるうるしていたが、瞬く間に現実へと引き戻された。義父は、義母の入院をずっと拒み続けていたが、主治医の勧めもあり遂に観念したようだ。

病院へ駆けつけた私たちは、外の非常階段に出ては、おのおの携帯電話で連絡をとりあった。それを羨ましそうに見ていた義父は「携帯電話は便利だ。いるなぁ〜」と、その日のうちに購入した。決断が早く行動力も抜群である。

私は携帯のいろんな機能を調べながら夜、義父に使い方の講習をしたが、年のわりには驚くほど飲み込みが早く、翌日、義父はメールデビューした。主な相手は孫と私。孫からもらった初メールには絵文字が入っており、それに興味をもった義父は「返信にどうしてもこれ(絵文字)が使いたい」ということで、初めて使った絵文字がなぜか「メールの返事ありがとう(ハート二分割の失恋マーク)」だった。おじいちゃんだから許してあげて(笑)。

7月末、義父は家族が反対する中、義母を退院させた。いかにふたりの時間を大切に慈しんでいくか・・・「なあ、お前、なるべく家でがんばるんだよ。病院でも同じことしかやらないんだ『在宅で死ぬということ』押川真喜子/文芸春秋より」。

私が義父用のご飯をもって行くと夜、必ず入ってくる。「御馳走さん。あぁ気絶しそうなほど美味しかった。母さん、今日は調子いい」「御馳走さん。世界で一番美味しいハンバーグをありがとう。母さん、今夜こそ寝てくてれますように、アーメン」などなど。ここで披露できないけれど、日記がわりに洒落たコメント入りの内容が送られてくる。私の携帯に毎日入ってくる件名は「今日の運勢」と「御馳走さん」。義父のメールが途切れたことは一度もない。肉じゃが、コロッケ、カボチャ、ひじきなど今まで義母から伝授してもらった義父の喜びそうなメニューを届ける。それをわざわざ義母のベッドのそばで食べているらしい。避けられない介護なら少しでも明るく楽しくしたいものである。

私のメル友は82歳!今日も気絶していただきます。


7月

 

中国での『本』のはじまりは、メソポタミアと比べれば、かなりおそいのですが、紀元前1400年ごろ。カメと呼ばれる不思議な動物をつくづく眺めた人たちがいました。(略)カメの甲羅をはぎとって、焼くか煮るかしておいしいとよろこび、はぎとったこれは素晴らしく重宝なものになる、使えると気づいたのです。そして、この甲羅こそ、この上なく貴いと思ったにちがいないのです。(略)カメの背中の甲羅ではなく、おなかをおおっている硬い腹甲の部分が、殷の国の最初の本のページに使われるようになって行きました。「本」の文は、霊界にいる神々への願いや、願いを神々に伝えるための、まじないのしるしでした。

『「本」起源と役割をさぐる』 犬養道子/岩波ジュニア新書

雨上がりの午後、私は亀を拾った。亀からしてみれば捕まった!と言うべきであろう。でも、これで二度目である。幼稚園のお迎え当番をしていた頃、子供といつものように川を覗きながら帰っていると、亀が藻に引っ掛かっていた。「あっ、カメ発見!」家からザリガニ用の網を持って来て、柄が折れそうになりながら、私と娘はすくい上げた。「いいもの拾ったねぇ〜」娘は宝物のように抱えて持って帰った。その後、亀をしばらく飼うことにしたが、あまりの臭さに家族は見向きもしなくなり、ひと夏飼った後、子供用自転車の前籠に入れられ、連れて行かれた所は近くの池だった。

その体験と反省と学習に基づき、今回二度目の亀は、拾わず安全な嫁入らずの川に逃がした。しかし、よくもまあ、あの動きで広い道路を横断して来ものだと思うと、少々ぞっとしたが、いじらしいというか、褒めてやりたい気持ちにもなった。しばらく見ていると、溝に首を延ばし、自ら溝に落ちていった。慌てて助けにいくと、予想通り引っ繰り返ったまま、じっとしている。「さあて、これからどうしようか・・・」と考えているかのように。人間のように、せかせかしていないから、とにかくひとつひとつの動作に時間がかかる。これなら万年も生きるはずだ。

「また、カメ?」と言われることを覚悟の上、一人暮らしの娘に「亀を拾ったのよ〜」と話すと「なんかいいことがありそうな動物だよね」と意外にも前向きな返事だった。「そんな発想する人、幸せ者よ」「そうかなぁ、全国的にそうなんじゃないの?」

その翌日「お母さん、ありがとう。図書券、届いたよ!」と。そういえば数日前、母の日のお返しで、娘に図書券を送っていたっけ・・・。どうやらいいことが起こる動物みたいというのは、真実らしい。


6月

わたしも、オカヤマ人じゃけど・・・岩井志麻子風に

2年のS君が「次のミネルヴァはまだですか?」と言ってくれたので今月号は、2年生が楽しみにしている修学旅行前に出すことにした。「東京案内の本を入れて下さい」と先生方にリクエストしていただき、書店へ出向いた。が、気がつくと私はグルメばかりを手にとっていたのである。岡山県出身の作家といえば『ぼっけえ、きょうてえ』で有名になった岩井志麻子。ホラーは苦手なので『東京のオカヤマ人』をパラパラめくると、出るわ出るわの岡山弁。

そう言えば、私の弟は学生時代、東京にいた。渋谷で友達のT君と待ち合わせをした時、彼が遅れて来たので
「遅かったのう、なにゅうーしょうたんねぇ・・・?」と聞くと
「うむ?今、分からなかったので、もう1回ゆっくり言ってくれ」
弟はもう一度、ゆっくり、丁寧に
「なーにゅうーーしょうーたーんねぇー」と言い直しても、最後までT君には通じなかったのである。

東京という街は、一度思い出せば二度目の思い出を作り出そうとしてくれるらしい

『東京のオカヤマ人』岩井志麻子/講談社より

この4月、私は娘と上京した。電車は混んでいなかったが、ふたりとも大きな荷物を抱えながら遠慮がちに座った。その次の駅から、母と7歳と5歳と3歳の親子連れが乗って来た。

3歳の女の子はお母さんの服を持ち、5歳の男の子は妹の服を持ち、7歳のお姉ちゃんは、弟の服を持って立っていた。しかし、男の子がお母さんに何かぐずぐずと訴えている。母は荷物を持ったまま目を見て、うんうんと頷くだけ。これといって何もしようとしない。何か話しかけた7歳のお姉ちゃんは、弟のシャツの中に手を入れ、優しく背中を掻き始めた。それからというもの弟は、ぐずぐず言わなくなった。姉弟、家族の役割があるように、車内の人たちはその微笑ましい光景に見入っていた。

すると、その家族の前に座っていた二十歳くらいのカップルが「せぇーの!」と打ち合わせをしたかのように立ち上がった。男性が「どうぞ」と言った後、吊り革につかまり、ふたつ席が空いた。子供達は嬉しそうになだれ込んだ。「あぁ、すみません」とお母さんはお礼を言い、そのまま吊り革につかまっていた。それを見ていた私と娘はその子供たちに「次で私たちも降りるから、頑張って!」と 心の中で言っていたけれど、なんだかそのまま、うつむいていたのである。

東京は、冷たく、よそよそしい街だと思っていたけれど、私はこの街に娘を預けてもいいかな・・・と思った。


5月

自慢大会

「今月のミネルヴァの梟、ありますか?」「あらあら、嬉しいこと言ってくれるわね、何枚欲しい?」「いいえ、新着図書に書いてあった本を母に借りて来てほしいって言われたので今、見たいだけなんです」「ミネルヴァの梟に書いてあった本、どこにありますか?妹が借りて来てというから・・・」生徒だけでなく家族で『本』についての話がされるとき、参考になっていると思うと、またまた張り切ってしまう。

昼休み『醜い花/原田宗典』を読んだ3AのKさんが「先生、あの本すごーくよかった。3回通り読んだわ。今、教室でOさんやHさんが読んでるから、また後で返しに来るね。よかったってことが言いたくて来ただけ。お弁当食べてくるわ」私は照れ隠しで「精研高校には、なかなかいい本が入っているでしょ!」と自慢してみた。

5月のある日、笠岡市古代の丘で私の尊敬する司書と2人で自慢大会をした。自慢話といっても、嬉しかったこと、驚いたことを茜色の空になるまで、延々としゃべり続けるのである。

S:「少し前の話なんだけど、朝日新聞に物理学の本が出てたの」
私:「知ってる知ってる。大沸次郎賞やパピルス賞とかもらった 本でしょ。天声人語を読んだわ。あの本・・・」
S:「何の賞か、それは知らないけど、なんだか素晴らしい本らしいから、近くの図書館で借りようと思ったの」
私:「あらそう?あの本は・・・」
S:「それで、図書館に行ってみたんだけど近隣の図書館になかったから、国立国会図書館で借りる予約をしてもらったの。でもね、館内閲覧なのよ(借りることはできず、図書館内で読まなければならない)」
私:「あら、福山のK書店に3巻揃ってたわ(『磁力と重力の発見1〜3』山本義隆・みすず書房)だから私・・・・・」
S:「そりゃ、どこかの本屋さんにはあるでしょう。でも、買うつもりはないから、国立国会図書館で借りることがいいのよ。たまたま私の2日前に借りた人がいるみたいだから、1カ月待ちなんだけどね。それにしてもどう?すごいでしょ」
私:「国内のどこで借りているかわからないもの、時間がかかるわね。ところで精研高校の図書館その新聞読んだ後すぐ購入したんだけど・・・」
S:「あっれぇ〜、へぇ〜?国会図書館まで探したのに、こんなに近くにあったの?やめた!私、精研高校の図書館で借りようっと」

潔い彼女の決断であったが、既に私は、ほくそ笑んでいた。


4月

春は毎年やってくるけれど・・・

春は毎年やってくるけれど、同じ春はない。庭に咲く花の数が違えば、風を心地よく感じる日も違う。今年の3月、3年生がアルバムを見ながら言った「私達の入学の時は精研桜がなかったのよね〜」と。このミネルヴァのバックナンバー読み返しながら、急ぎ足で去ったあの春のことかなぁと思うのである。そういえば今年は、長く桜を楽しむことができた。

昨年4月、1年B組でホームルームの余った時間を使い、簡単な図書館オリエンテーションをさせていただいた。最後にF先生から「『ミネルヴァの梟』とは、どういう意味ですか?」と尋ねられ、ギクッとした。2000年1月以来、当たり前のように使ってきた『ミネルヴァの梟』だったが、名前の由来など、すっかり忘れていたからだ。昨年、ホームページに載せて頂いたので、ここにもう一度、記載しておきたい。

・・・図書館ホームページ「ミネルヴァの梟」タイトルについて参照・・・

ところが、このミネルヴァ第1号を配布した後、私の事なら何でも知っている先生から、ズバッと指摘された「妹尾先生どうされたのですか?今回の『ちょっと司書室から』は、文体が違いますね。どこかお体でも悪いのでは・・・(笑)」「う〜む?(見破られたかも)」

《再び、1年生のオリエンテーションの場面へ戻る》

今でも参考文献を引用した記憶が、うっすらと蘇るだけである。へーゲル?プラトン?哲学?アテナ?ハテナ?思い出せない。(とにかく喋りながら考えよう)・・・「皆さんも知っているように梟は夜、飛び立ちます。また、知恵の象徴でもあります。学校の中で図書館は『知恵』の宝庫です。生徒の皆さんにここで3年間、いろんな知恵、知識を蓄えてほしいと思います。そして、3年後にはその知恵と一緒に、飛び立って行って下さい」「いいお話しですね〜」F先生の一言で私は窮地から脱け出すことができた。その翌日から、1年生の来館者と貸出数がぐっと増え、2003年は嬉しい春になったのである。

トップページ>おしらせ>ミネルヴァの梟>おすすめ図書
2004(C)岡山県立精研高等学校 無断転載を禁ず