学校行事Hana・花 networkFrom 家政科精研新聞ミネルヴァの梟|同窓会新聞

ちょっと司書室から

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平成14年度


1月

大人になるということ

1月に小学校の同窓会をした。20年ぶりとかで、みんなに会いたいような怖いような・・・。若かりし頃との焦点が合うまでは「だれ?」の連発。恩師の先生方は、あの頃から、ちっとも時間が過ぎていないのが不思議である。

会の中で感動的だったのは、大学を卒業して、現在、東京でサービス業をしているKくん。出欠の締め切り期限が過ぎても返信がないので、電話をすると「出席したいけど、どうしても都合がつかないから、ぎりぎりまで返信が出せなかった・・・残念だけど、みんなによろしく」そういって電話を切った。

ところが当日、そのK君が会場に現れた。「遅れてすみません。出席できないと諦めていたのですが同僚が『あとは自分が変わって出勤しますから、どうぞ同窓会に出席して下さい』と言ってくれたので、その言葉に甘えて、朝一番の飛行機で飛んで来ました。いい同僚をもっています」と挨拶した。歓迎の拍手で、K君は少し照れ臭そうだった。友人のひとりJ君が言った。「同僚も素晴らしいけれど、みんなの出にくい時に、かわって出ようとするKちゃんの人柄が素晴らしいよなぁ。そういうところは、昔とちっともかわっていないなぁ」私には、K君も、またそんなふうにみえるJ君も素晴らしいと感じた。幼い頃から、そんな彼たちだったのかな?

「私は、5年で転校してきた○君が初恋の人でした」とか「僕は○子さんが、小学校の頃は怖かった」「私は、○さんと大ゲンカをしました。だから、一番会いたかった」など告白したり、懴悔したり。今なら笑って、話せることもある。齢を重ねるということは、年が増えるだけでなく、人の苦しみ、悲しみ、そして、痛みがわかるようになること。中には倒産、病気、離婚など、辛く苦しいことを経験した人もいた。誰もが自分の人生を『主人公』として、歩んで来たのだ。『時』というのは、あの頃の面影を残しつつ、これから、もまだまだ深みのある人間に育ててくれるはず・・・

大人はかつて若者だった。若者もいずれは大人になる。この世に、たったひとりしか存在しない人間として、自分らしく思い切り生きたい。その願いは、だれにとっても同じなのである。もちろん私にとっても、そしてあなたにとっても
『若者の法則/香山リカ』


6月

* *「心のバリアフリー」**

この日のラッキーカラーは「赤」だったので、赤い傘を持って郵便局へ出かけた。隣の車では、50歳くらいの車椅子の男性が、自動車のドアを閉めるところだった。うーん、こういう時どうすべきか・・・勇気を出して私は、赤い傘をさしかけた。

少しびっくりされたので「雨の日は大変でしょう」と声をかけてみた。「あ、すみません。雨の日は、濡れること覚悟です」。そういえば(2・3年生は昨年のブックトークで紹介した)『車椅子から見た街(岩波ジュニア新書)』の中にも同じようなことが書いてあった。「雨が降ると、車椅子はお手上げです。両手がふさがっているのですから、雨が降って来ても、傘をさすことができません。雨宿りをするか、ぬれるにまかせるしか方法がありません(文中より)」

横から入ってくる雨を感じながら私は、「あまり役に立っていませんけど」と笑ってごまかした。車椅子と同じ速度で進みかけた時「あっ、肝心なもの忘れた。すみませんが、サンバイザーの中の現金書留をとっていただけませんか? 」何も予期していなかったので、今度は私が驚いた。「では、すみませんが、これを持っていて下さい」と手に持っていた傘を、男性の前へ差し出した。男性は、車椅子に座ったまま、手にした傘を高くかざし、私にさしかけて下さった。急いで私は運転席へ潜り込み、サンバイザーの中から現金書留を取り出し、その赤い傘と交換に書留封筒を渡した。「ありがとうございました。今日は、あまり降ってなくてよかったぁ」そんなことを話しながら、私たちは郵便局へ入って行った。

男性は、用事が終わり出口の自動ドアが開くと「ありがとうございました」 と再び私にお礼を言って出て行かれた。しばらくして、私も 外へ出た。通り過ぎる車を待っていると、車内でもまた会釈をされていた。

やはり、今日のラッキーカラーは「赤」で、私は一日中、なんともいえない、満たされた気持ちだった。夕方、学校から帰って来た娘の後をつけまわし「ねえ、聞いて聞いて」と、その出来事の盛り上がる場面を想像しながら話した。「その人、よく見ず知らずの他人に、現金書留なんかお願いしたよね」そう言われてはっとした。「そうかぁ、もしかしたら、そのまま封筒を持って逃げる悪い人かもしれないよね」。

「心のバリアフリーとは・・・」。この日、透き透る青空のように、私をすがすがしい気持ちにさせて下さったのは、この車椅子の男性だったのだ。


5月

花いかだ

「カツオ、よくそんな言葉を知っているなぁ」と、サザエさんちのお父さんが言いますが、小学生のカツオくんは、難しい言葉を知っていると思いませんか?巷では、『声に出して読みたい日本語』以来『常識として知っておきたい日本語』(幻冬舎)『その日本語変ですよ』(リヨン社)など『日本語』がブームになっています。

久しぶりに、というのもおかしな使い方ですが、私はふとしたことから『花いかだ』(和食のお店の名前)に出会いました。私の好きな言葉のひとつなので、今日の夕食はこのテーマでいこうと、心弾ませ家族の帰りを待ったのです。

「『花いかだ』がねぇ」と言いかけると主人が「あ、知ってる。葉っぱの上に小さな実をつける植物だ」というのです。「え〜っ、水面に浮かんだ花びらが、ゆらゆらと流れていく様子のことよ」と私も自信たっぷりに主張したのですが、主人はどうしても信じてくれません。いつまでたっても平行線。このままいくと、口論に発展しそうです。

そのとき、そばで二人の会話を聞いていた高校生の娘が立ち上がり、書棚にあった広辞苑第5版をよいしょと開き、読み上げたのです。「花筏(はないかだ)@花が散って水面に流れつづくのを筏にみたてていう語」「ほらほら、やっぱりそうでしょ」私は勝ち誇ったように言ってみました。主人は悔しいというより、少し悲しそうな顔をしたので「それから、ほかには?続けて読んあげて」「・・・Dミズキ科の落葉。初夏、葉の上面の中央に薄緑色の小花をつけ、のち球形の果実を結ぶ。ということで両者とも正解!」めでたしめでたし。

となれば我が家も安泰なのですが、私たちの論争中、娘はいつのまにか姿を消していたのでした。もし、カツオくんだったらきっと、こんなふうに言うでしょう。「まあまあ、おふたりさん『百聞は一見に如かず』。蛙鳴蝉噪はやめてまずは、そのお店に行ってみようよ」。
※蛙や蝉がやかましく鳴くことから@がやがやしゃべることAへたな文章や議論をあざけっていう語。


4月

精研桜

精研桜が、ぽつりぽつりと咲き始めたので「入学式まで待って!」とお願いしました。しかし、今年の開花は全国的に早かったようです。

世の中に絶えて桜のなかりせば 我が心はのどけからまし 在原業平」
(もし、桜がなかったら、雨だの風だの散りそうだと心配したくてもいいのに)

私は満開になるといつも、この歌に共感していたのですが、新聞で本校の桜の樹を修復させるという記事を見つけました。専門家のお話によると
老木は直径50センチ前後で腐食による幹の空洞化が目立ち末期症状・・・丸3年で元の幹に再生させる。寿命は以後50年は伸びる
(朝日新聞3月16日付けより)

3月の半ば、お天気のいい日に、実家のそばを通りかかると、小学校の同級生が田圃を耕していました。「おじさん、頑張ってますね」と声を掛けようかと思いましたが、ルームーミラーに映る姿を見ながら通り過ぎました。そういえば、彼は小学校の頃から田植えだの稲刈りだの、よく手伝っていたなと思い出されます。「暖かくなってきましたね。今日、見かけましたよ」とメールしたら「田圃引いてるのをみましたか・・・。やることをやらないと米はとれないのです。秋には、お米をあげましょう」と返信がきました。

「やることをやらないと・・・はじまらない」確かにそうだなと。そして、このミネルヴァの梟(とは知恵の象徴の意「ミネルヴァの梟」タイトルについて参照)も、今、扉を開けなければ、みなさんの元へ飛び立てないと思うのでした。

偶然と思えることも、すれ違いそうなことも、これからのよき出会いになりますように!


花柄のコーヒーカップ

私には、どうしても気になるコーヒーカップがある。そして、そこには13年間、仲良くして頂いた友人がいる。井原市内でちょくちょく顔をあわせているのに「元気?」これが二人の合言葉だった。私は、へこみそうになると、彼女の勤めるジュエリーショップへ立ち寄った。

「このコーヒーカップ大好きなの。OL時代のことなんだけど、その人のイメージにあわせてカップを使い分ける喫茶店があって、そこのマスターが私に選んでくれたのが、この模様なの。そして、結婚の時、友達がお祝いにくれたのが、これなの。偶然よ。つまり、私は、このカップと再会したのよ。不思議でしょ。」

彼女は、カップを軽く持ち上げ、ぐるりと全体を見せてくれた。とてもお気に入りらしい。と同時に、若き良き時代を重ね合わせているかのようにも思えた。ピンクの花柄模様のそれは、優しく淡い感じが、彼女によく似合っていた。

「へぇー、ひとりでコーヒー飲むの?」
「友達とも行くけど、一人でもよく行ってたわ。本を買って、しばらくそこで読むの。」

缶コーヒーなら120円、家ならもっと安上がりで、お代わりまでできる。さあどっちにしようか? と決めかねている私に、都会育ちの彼女は、粋な時間の使い方を教えてくれた。

その彼女と去年の冬、久しぶりに話をした。師走の風は冷たく、わずかばかりの陽だまりが、彼女を包んでくれていた。約10分の間に、自分の病名、治療のこと、いつもより早口でたくさん喋った。

「骨髄移植の手術をして、人相が変わっても、妹尾さん、私を見捨てないでね。」
「見捨てるわけないじゃないの。」
「私は、病院から這ってでも絶対に出てくるからね。這ってたんじゃ、出してくれないわよねぇ(笑)・・・」
「待ってるからね。帰って来てよ。絶対に!」

それが最後に交わした言葉だった。

その頃の彼女は、家族に言っていた。

「みなさんが、お見舞いに来て下さっても、笑顔を作る元気が出ないから、お断りをしてほしい。」

そっとしておくことが、私たちのできる精一杯のことだと、誰もが信じ、守ってきた。ところが、今年の9月、1年間の闘病生活は幕を閉じた。それはあまりにも、突然だった。

彼女の死を受け入れることができない私は、お通夜に行きたくなかった。しかし、

「遠いところから嫁いで来て、友達も少ないし、見舞い客も断って、ひとりで死んでいって可哀想に・・・・。行って来い。もう、今日しか、あえないんだぞ。」

学生時代から、私と彼女の共通の友人である、俊二くんが、背中を押してくれた。

「今日は十五夜、あやこちゃんのお母さんは、かぐや姫みたいだね。」

と私を送り出す、娘の目にも、涙が光っていた。

柩に納められた佳子さんは、眠っているようだった。読書家でセンスのいい彼女なら、

「かぐや姫?あら、うまいこというわね。」

と答えてくれるだろう。でも、呼びかけても返事がない。それだけが今までと違っていた。高校2年、中学校2年、小学校5年の娘3人を残して逝くのは、さぞかし心残りだったことだろう。もう、母と4人で買い物をすることも、笑うこともできない。残された子供達は寂しくしているのではなかろうか・・・。ありし日の彼女を思い出しては、胸が締め付けられるほど苦しく、私は、何度も涙がこぼれた四十九日の法要が終わった頃、町のスーパーで父娘4人に、ばったり出会った。

「女房にまかせっきりで、子供に構ってやらなかった分をこれから、してやろうと思います。こうして、一緒にいてくれるのは、これからせいぜい5年ぐらいでしょう・・・。」
「佳子さんが好きだった、あのコーヒーカップのブランド名は、何だったのですか?」

例の話をしながら、ご主人に聞いてみた。

「そうでしたか。あのカップが好きだったことは、人からも聞いていたので、コーヒーを入れて毎日、仏壇へ供えているんです。また、一緒にそのカップで、お茶でも飲みましょう。」
「みさちゃん(小学5年)、お父さんのこと、よろしくね。」
「うん。」
と答えたその笑顔は、驚くほど佳子さんに似ていた。

「さあ、おいしい物を食べに行こう。」
娘たちは、私に軽く会釈をしたあと、颯爽と歩く、お父さんの後ろをついて行った。

「佳子さん、父娘(おやこ)たち、しっかりやってるから、安心して!」

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